ふらふらと左右に揺れながら、アロードは廊下を歩いていた。俯いた彼の顔に長い髪がしな垂れかかり、より一層彼の顔を人生に疲れた人のそれに見せた。はあ、と何度目かの溜息がアロードの口から洩れる。
ギルドが発足して一年弱、集まったメンバーがそれぞれ事情を抱えており、苦労の多い道のりになるだろうとは思っていた。それでも、このメンバーならどんな困難でも乗り越えられると思ったあの日。5人全員が「リーダーはお前しかいない」と言ってくれたあの時の感動を、「そんなこと、あったけ?」と遠い目をしてアロードは思い出していた。思い出はいつでも甘く、現実の苦さをより際立たせる。
ある程度覚悟していたが、ギルド一の暴れん坊戦士のガーネットは本当にトラブルメーカーだった。同じ幹部で武道家のライとは元から折り合いが悪いこともあって毎日ケンカ三昧であるし、加えて家出癖もある。最近では、新入りのシーフの少年にストーカーまがいのことまでしているらしい。彼が何か問題を運んでくるたびにギルドの雰囲気は悪くなる。新入りにストーカーと聞いて真面目気質のライはますますガーネットに噛みつく。大事なギルド戦前にガーネットが消えると、テイマーのセシルは日頃の穏やかさが嘘のように怒り狂う。追放天使のシストは騒ぎを聞きつけると片眉をあげ、アロードに「早くなんとかしろ」と無言の圧力をかけてくる。ランサーのカーネリアンはいつも豪快に笑うだけで、騒ぎが起こるといつのまにか姿を消しているか、ライとガーネットのケンカに自分も参戦して騒ぎを大きくさせる。
前衛職の切り合い殴り合いの中に飛び込んで仲裁させるのも、機嫌の悪くなった幹部メンバーをなだめるのも、全部アロードの仕事だった。あれだけ頼りになると思っていた幹部たちからのまさかの仕打ちに、アロードは裏切りにあったような気分だった。つい数週間前、いろいろと訳ありなこのギルドも一気に新規参入者が増えてメンバーの数が2倍になった。こんな実状を知られてせっかく入ってくれた新入り達にいつか愛想を尽かされるのではないかという不安も、アロードへのプレッシャーになっていた。
今日のはフルコースだった。ガーネットが先日ギルド戦をドタキャンして、今日帰ってきた。ライからさっそく説教からの乱闘が始まり、カーネリアンがよせばいいのに油をそそぎ、そこへ数日前からぶち切れているセシルが厳ついガーディアンを引き連れて現れた。その中へ、アロードはシストのコールによって放り込まれた。精神、肉体ともにズタボロである。せめてもの救いは、新人たちにこの惨状を見られなかったことだ。半壊した玄関口はリフォームだとでも言っておこう。
この一年で胃が弱くなった気がするなあ。はああ、と再び溜息をついてアロードは廊下の壁に寄り掛かった。ずるずるとその場にしゃがみこむ。壁と床の90°の隙間に身を潜めて今すぐにでも泣き出したい。
しゃがみこんだアロードの頭上に影が差した。ぽんぽん、と優しく肩を叩かれる。
「マスター?」
爽やかな少年の声。
はっ、として顔を上げると、心配げに眉根を寄せた新入りの少年がいた。彼はアロードと目が合うと、困ったような微笑みに表情を変えた。それを見て、慌ててアロードも顔を変えて立ち上がる。変なところを見られてしまった。
「や、やあ、ゼロ。レインたちと買い物に行ってたんじゃなかったのかい?」
「その買い物から今帰ってきたとこさ。面白いものみつけたぜ。」
こっち、とそっと手を取られ、連れてこられたのはすぐそこのテラス。テラスには二人掛けのベンチ2つとローテーブルが置かれているが、庭に降りられるよう床が地面近くに作られているので、木製のテラスの縁に直接腰かけることもできる。床の上にゼロのものだろうカバンや装備が置かれているのを見て、彼はずっとそこに居たのだと、ここからすぐそこの廊下で自分が鬱々としていたのを全部見られていたのだと知って、頭を抱えたくなった。ギルドマスターの情けない姿なんて、誰にも見せたくなかった。テラスの縁に腰を下ろし、カバンの中を懸命に探っている空色の髪をみつめながら、とくにこの子だけには見られたくなかったなあ、と内心溜息をついた。
「ドロシーの雑貨屋で見つけたんだ!」
顔を上げると、面前に突き付けられたピンクの花束。甘い匂いのする花弁が鼻先をくすぐった。満開の花束の向こうで、ゼロがにぃっと笑みを浮かべている。あ、可愛い、とアロードはぼんやり思う。
「ただの花じゃないんだ!ひとつ食べてみてくれよ。」
「え、花をかい。」
「うん、こんな風に。」
ひょい、と花束から一輪抜き取ってゼロの口がパクリと花を頭から飲み込んだ。口に咥えたまま、んー、と目を閉じて味わうような仕草をした後、茎もポリポリと食していく。促すように、再びゼロが花束をアロードに差し出した。花を食べろ、などと言われて最初は困惑したけれど、美味しそうに食べるゼロを見て、アロードは花に興味を抱いた。ゼロがしたように、花を一口で口の中に放り込んだ。歯を立てると、くしゃりと口の中で花弁が音を立てた。予想していた青くささはなく、代わりに優しい甘さがした。ほのかに花の蜜のような香りがする。花というより、花の匂いがつけられたお菓子みたいだった。美味しさを感じると同時に、わずかに体が軽くなり、精神も穏やかになる感覚がした。驚いて目を見開くと、にひひっと悪戯が成功した子供のようにゼロが笑った。
「なんとこの花、食べると魔力と体力が回復するんだ。さすがにポーション並とはいかないけど。」
「へー、これはすごい!」
一魔術を研究する者として、この不思議な花に強く関心を持った。
「研究用に、二輪だけもらえないかい?もちろん代金は払うよ。」
「二輪と言わず、全部タダでどうぞ。」
「え?」
ふぁさっ、と音を立てて膝の上に花束が置かれた。
「この花はもともとアロードにあげるために買ったんだ。紅茶好きだろ?花弁を紅茶に入れても効果あるらしいし、お好きにどうぞ。」
頬をわずかに染めて、ゼロがはにかんだ。
「ギルドマスターって大変な仕事だと思う。最近、とくに疲れてたみたいだから、少しでも足しになればいいなって思ってさ。」
「ゼロ…君って子は…、」
アロードはそれはそれは感激した。プルプルと肩を振るわせた後、花を潰さないように脇に避けてから、ぱっとゼロに抱きついた。
「なんて可愛い子なんだー!」
「うわ、ちょっと、」
「もー、ほんとにありがとー!」
感極まって頬ずりすると、ますますゼロは顔を赤くさせた。その反応がまた可愛くて、嬉しくて、アロードはさらに抱きしめる力を強くさせる。ゼロは、涙目になって喜ぶアロードに、恥ずかしくなって照れつつも彼を受け入れた。くすぐったそうにゼロが笑い声を立てる。
可愛い可愛いこの空色の恋人のため、「明日もギルドマスター頑張るぞー!」とアロードは心の中で叫んだ。
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剣士の可愛さを追究してみた……はずが、百合になってしまった。
2013/06/30
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