※12歳01.焦がれるこんな生き物、自分と同じ人間だとは思えない、とフェシスは思った。金色の産毛に覆われた、ホクロひとつない乳白色のすべらかな肌も、シュークリームのようにぷっくりと膨らんだ薄桃色の頬も、色素の薄いまん丸な瞳も、低い鼻も、山の形をした口も、なによりも3頭身にも満たない小さな体が、あまりにも自分の知ってる人の形からはかけ離れているので。小さな手足をばたばたと、まん丸な瞳はきょろきょろと動きまわる様は、人間というより子犬を見ているようだ。 「はーっ、かっわいいなあ!」 「まあ、よかったわねえ、可愛いですって。」 リラが、腕の中のその生き物のやわらかそうな髪を撫でると、笑みを浮かべてきゃっきゃっと声をあげた。 覗き込むように顔を近づけていたナスタがつられたように嬉しそうな声を上げた。 そんなナスタの一歩後ろで、まるで言葉を理解しているような反応を返したそれにフェシスは訝しげな顔をした。 「こんなに近くで赤ちゃん見たの、ボクら初めてなんです!」 「あら、そうなの。兄弟は?」 「はい、ボクもフェシスも一人っ子なので。わぁ、フェシス見てよ!ほっぺたプニプニだあ!フェシスも触らしてもらいなよー。」 「俺はいい。」 「あら、フェシスは小さい子苦手?」 「そういうわけじゃないけど...。」 「そうだ、洗濯物をしてる間、しばらくこの子のお守りしてもらえないかしら。」 予想外の提案にえっ、とフェシスが戸惑いの声を上げている間に、素早くナスタが「やります」と答えてしまっていた。 「バカ!むりだろ、やったことないのに!」 「大丈夫よ。もうすぐお昼寝の時間だし、適当に抱っこしてくれたら勝手に寝ちゃうから。」 ゆっくりと横抱きに、赤子がナスタの腕の中に納まった。 「うわうわっ、思ったより重いんですね!それになんだかとってもあったかい!」 「じゃあ、よろしくねー。」 リラが部屋を出ていくと、ナスタは赤子を抱えたまま、リラの座っていたソファーに腰かけた。片腕で首を支え、赤子の身体を膝の上にのせて、もう片方の手を自由にさせた。ニコニコと笑いながらツンツンとナスタは赤子の頬をつついた。 「ホントにかわいい!ほら、フェシスも触ってみなよ。食わず嫌いはよくないよフェシス〜。」 「食う気か。」 「食べちゃいたいくらい可愛いよ!」 ほらほら、と促されてフェシスは渋々手を伸ばした。 ナスタを見上げていた丸い瞳が、フェシスの方に向けられる。頬を目指した人差し指のさきっぽを、きゅっと小さな指に包み込まれた。 「掴まれた!」 「かわいい!」 柔らかくて、暖かくて、そして驚くほど小さな指だった。小枝のような細い指に、おまけのように小さな小さな爪がついている。無理やり振りほどいたら、壊れてしまいそうだとフェシスは思った。 赤子の顔を見やると、目があった。無垢な瞳が自分を見上げているのを見て、フェシスの中でキュンと何かが音を立てた。 「だっこしてみる?」 「…いい、触るのこわい。」 「そんなにおっかなびっくりでなくていーのにー。ねー?」 ゆりかごのようにナスタが腕を動かすと、赤子の指は離れていった。 とくに反応は無く、ぽーっとした表情をしているけれど、嫌がってはいないようだ。 調子に乗ってきたようで、ナスタは今度は赤子の脇の下を両手でつかんで、膝の上に立たせてみた。間違って手を離してしまえば床に真っ逆さまに落ちてしまう不安定な体制に、フェシスはハラハラと胸を騒がせた。 「…気をつけろよ、ナスタ。」 「大丈夫だよー。」 ちょん、ちょん、ちょんと左右に動かして歩かせてみる。相変わらず赤子はぽーっとしている。ちゃんと楽しめているのだろうか?顔を覗き込んだフェシスと目が合うと、赤子はにかっと一瞬笑みを浮かべた。 「笑った!」 「ボクもしかしてうまいんじゃない?そーれ、たかいたかーい!」 小さな体をめいいっぱい腕を伸ばして高く掲げる。そのまま左右に揺らしてみたり、昇降を繰り返してみた。赤子がどんな反応をしているのか見えなくなったので、ソファを周りこんでナスタの後方から赤子の顔を見上げたフェシスはぎょっとした。 「待て、ナスタ。なんか様子が変だぞ!」 「へ?」 相変わらず目はぽーっとしていたが、首をすくめるように涎掛けに埋めた赤子の顔は、ぷっくりした頬がますますぷっくり膨らんでいるように見えて、どことなく不満げそうに見える。うっ、うっ、と小さく唸るような声が聞こえた。 ナスタが自分の膝に赤子を下ろすと、きゅっと眉根が寄せられた。 うっ、うっ、うっ、ぅああああっ! 猫が喧嘩をする時のような、つんざくような鳴き声が上がった。 「うわあっ、なな、ないちゃったあ!」 「バカ!バカナスタ!」 「ぼ、ぼくのせーなの?!」 真っ白だった肌を今や首まで真っ赤に染め、ぎゅっと目も眉も思い切り顰め、唇をわなわなと震わせながら、赤子が絶叫する。ナスタとフェシスの顔は真っ青に染まった。 うああああっ!うあああああっ! 「ほ、ほーら泣かないでえ、ゆりかごだよー?ゆーらゆらー。」 うあーああっ!うあーああああっ! 「悪化してる!」 「ダメだ―!」 「もっとうまくあやせ!」 「無理だよう!」 こんな小さい体のどこからそんな声が出てくるのかと、驚くほどの大きな声で赤子が泣く。 ゆらゆら揺らしてみても、部屋の中を歩き回ってみても…てんで効果が得られやしない。全身を使って嫌々と暴れられる。 「誰か大人探してくる!」 もう自分たちの手には負えないと、フェシスは部屋を飛び出した。 「うおっ、どうしたフェシス?帰ってたのか――、」 「いいとこに!ちょっとこっち来て!」 フェシスが扉を開けたまさにその時、廊下をジョンが通ったところだった。突然開いた扉に驚いて飛び退いたジョンの腕を引っ張ってフェシスは部屋に引きづり込んだ。 部屋中に響き渡る絶叫に、ジョンはすぐさま状況を理解してくれたようだ。 「ジョン先生ー!」 半泣きのナスタがこれ幸いと言わんばかりに、ジョンに放り投げるように赤子を手渡した。赤子はぽろぽろと涙をこぼしながら泣き叫んでいる。腕に座らせるように抱きかかえ、背中をぽんぽんと叩いてみるが、一向に泣きやむ気配はない。むしろ、げしげしと嫌がるように腹を蹴られている。時計を見上げたジョンは「そうか、お昼寝の時間か」と呟いた。 「可哀そうに、寝たいのに眠れないから辛いんだな。これは俺でもどうにもならん。」 「どうするのさ先生!」 「リラか、ケイルン、どっちでもいいから呼んできてくれないか?」 「呼んだか?」 「ケイルン先生!」 ひょっこりと、庭師のような作業着を着たケイルンが開けっ放しの扉から顔を出した。 「はっはっはっ、元気だなあ。」 ケイルンがジョンのように赤子を抱くと、ピタリと、泣き叫ぶ声がやんだ。ぽーっとしたあの表情に戻っている。ケイルンが真ん丸な目の縁に浮かんでいた涙の粒を指で掬ってやると、ぐりぐりと甘えるようにケイルンの胸に顔を埋めた。小さな手がきゅっとつなぎを掴んでいる。 「もう少しで寝そうだな、ベットへ連れて行こうか。フェシス、ナスタ、お守をありがとう。」 フェシスとナスタの頭を一回ずつ撫でた後、ケイルンは赤子と共に部屋を出ていった。 部屋の中には、困惑と不満の色を湛えた二人の子供が残された。 「…なんだったんだあれ。」 「…ジョンせんせ~…。」 「やっぱり親が一番だってことだ。あの子は人見知りしない子だが、やっぱり一番安心できる場所は両親のすぐそばで、傍にいないとどうしても寂しくなっちまう時があるのさ。不思議なもんでどんなに泣いてても、あの二人が抱くとすぐに泣き止むんだからなあ。」 やれやれ、と肩をすくめてジョンも部屋を出ていった。 さぞしょんぼりした顔をしているだろうと、フェシスはそっと隣を伺い見て、はっと息をつめた。 「そっかあ、両親かあ。」 静かな表情だった。 きっと、いつものように父親のことを思い出そうとしているんだろうと、フェシスは思った。ナスタがこうなってしまったら、フェシスはナスタが返ってくるまで待つしかない。そのままどこかへナスタが1人で行ってしまわないように、いつものようにそっとナスタの手を握る。さきほどの赤子の孤独を嫌った叫び声よりも、今の静けさの方が耳に痛かった。彼の父はいまどこにいるのだろうかと、フェシスは静けさに思いを馳せた。
02.追いかける子供のころは、絵本が好きだった。 REDSTONEの伝説にまつわるいくつもの物語を目を輝かせて何度も読み返していたのを覚えている。 REDSTONEの力で人間を虐げはじめた凶悪な悪魔と対峙する勇猛果敢な若き戦士、REDSTONEの瞳をもつドラゴンに攫われた姫君を取り戻すため長い旅路に出る騎士、大陸の各地でREDSTONEによって引き起こされる数々の禍に立ち向かう冒険家。正義のために剣を握ることを子どもの内に刷り込もうという画策があったらしく、お話の主人公の多くは正義を掲げる勇敢な剣士の姿が多かった。 両親の思惑通り、俺は物語の主人公たちに憧れ、剣の稽古に積極的に参加するようになった。いつかお前もこの話の主人公のように立派な騎士になるのだと、騎士の絵本を指さして父は言った。けれど、俺は両親の思惑にぴったり当てはまって乗れていたわけじゃなかった。俺が一番好きだったのは、その隣に置いてある冒険家のお話だった。国のためだけではなく、恋人のためでもなく、名前も知らない誰かのために辺境の村にまで助けに向かうような、世界中の人のために剣を振るう主人公に憧れた。そして、単純に絵が一番好きだった。絵本のページをめくるたびに、美しい世界が次々と現れる。鮮やかな色彩のその場所に、自分がもしも立っていたらと想像して胸を躍らせた。 冒険家へあこがれる思いは、幼かった俺の純粋な心に深く根付き、魂のもっとも近い場所で色鉛筆の花を咲かせた。その花は俺が学校を卒業し騎士になる時になっても、枯れることなく鮮やかな色を保ちつづけていた。 国のために戦うことは立派なことだが、砂漠の美しいオアシスも、地平線の彼方までつづく深い森も、不可思議な造形をした異国の街並みも見ることなく、俺の一生は終わるのだと、俺がせいぜい知れるのは夕日の美しさくらいだと、そう思うとどうにも煮え切らなかった。 だから騎士になる日の前夜、俺は両親に打ち明けたのだ。世界をどうしても見に行きたいのだと、冒険家になりたいと。あの日受けた痛みを、今もよく覚えている。床に倒れた俺に父は目を怒りに燃やしながら言ったのだ。遊びのために、お前はこの伝統ある我が血族の剣を振るうつもりか。冒険家など、自分の欲のためにモンスターの穴倉を荒らし、金を貪るだけの野蛮な屑どもだ。お前が今そんなことを言いだしたのは、明日には家督を継いで騎士になるという目の前にある使命から一時的に逃れたいと思っているからだけだと。 現実と向き合えと、最後に怒鳴りつけられて、父の言う通りかもしれないと納得した。物語の中に居たような世界を守る冒険家なんて存在しない。その時になってようやく俺の中にあった花は枯れたのだ。まるで一時の逃避のためだという言葉を肯定するように、あっという間に花弁は散ったのだ。 そうして俺は騎士となった。家族は俺が共和国の刺繍が入ったマントを羽織り、父と並んで立つと喜んでくれた。家族の喜ぶ顔や、務めを果たして市民から感謝の言葉をいただくたび、これでよかったのだと肯定された気になっていた。 まだ根が残っていたと気づいたのは、それからずいぶんと経ってからだった。 騎士団よりも冒険家の方がずっと頼りになる。 ある日、市民の口からそんな言葉を投げかけられた。どういうことかと尋ねれば、騎士団が断った依頼を冒険家が代わりに成し遂げてくれたと言った。行方不明だった父を、森の奥から探し出してくれたのだと。衝撃だった。調べてみれば、冒険家が市民からの依頼を受けることは珍しい話ではないのだと知った。一方で、騎士団では国がらみの大多数の人を助けるための仕事が多すぎて、少数の人にまで手が回っていない現状も。 国が救いきれなかった人の手をとる、その人たちのためにモンスターと対峙する、そういう冒険家の在り方もあるのだと、俺は初めて知ったのだ。 とたんにそれまで有意義だった騎士という職が狭く感じられた。騎士の手を伸ばせる範囲は国の中まで、それより外には出られないし、届いているとおもっていた内側にまで穴がある。 俺は再び冒険家になることを決意した。 また強く反発すると思っていた父は、俺の話をじっくり聞くと、すんなりと認めてくれた。 ただひとつ、誓いを守ることを条件に。 自分のためでなく、誰かのための剣であり続けること。 それが父が出してきた条件だった。 今俺は、絵本の中の冒険家と同じ、鮮やかな景色の中に立つため、彼の背中を追いかけている。 就活って大変だよね、って話。 「02.追いかける」の十数年後03.諦める地平線まで続くなだらかな森の緑を、夕日がオレンジ色に染め上げていく。時の森は真っ赤に燃えていた。色を変えた沼の傍を家路につくエルフの群れが通り過ぎて行く。背の高い草たちがそよそよと黄金色に煌めきながら凪いでいるのを掻き分けていくその姿は、夕日に照らされて黒く深く影を濃くしていた。 彼らがこちらに気づいている様子のないのを見て、彼女はほっと息をついた。なんせ、昼間はここにたどり着くまでに彼らにさんざん追い回されたので。というのも、冒険者のくせに狩りが好きでないこの人のせいである。 切り立った崖の上で腕を組み、空も森も赤く焼き尽くしていく夕日を彼は目を細めてじっとみつめていた。いつもは子供のようにくるくると表情を変える人だから気づかなかった。目元の深い皺や荒い肌が、彼と自分との年月の差を思い出させた。年相応に落ち着いて見える、精悍な大人の顔をした彼の顔を横目に見て、目元を夕日に紛れ込ませるように同じ色へ染めながら、着いてきてよかったあ、と彼女は心の中で呟いた。 ざわあ、と冷たい風が後ろから吹き付けてきたのを感じて、後方を見やると、僅かに紺色に滲んだ西の空に一番星が浮かんでいた。もうすぐ夜が来てしまう、薪を拾いに行かないと。少し名残惜しく思いつつ、彼女はそっと立ち上がった。 「マスター、野営の準備してきますね。」 静を纏う彼の雰囲気を壊してしまわないように、置手紙を置くように小さな声で告げる。 「必要ない。」 槍を持ち上げて、森に下ろうとした彼女を止めるように、ようやく彼が口を開いた。 「この夕日が見たかっただけなんだ、沈んだら帰ろうと思ってたんだ。」 「そうなんですか?」 「ああ、…言ってなかったか?」 「ひとっことも聞いてませんよ!どこに行くかも教えてもらえないで、エルフに追い回されてただけなんですから!」 「それはすまんかったな。」 あちゃー、と彼が申し訳なさそうな顔をして、顔の前で手を立てるごめんのポーズをとった。子どものような仕草でいて大人のような対応をする彼に、彼女はいつも甘えたくなってしまう。唇を窄めて、すねた振りをしてみる。 「夕日なんてどこで見たって変わらないですよ。」 「…そうかもしれんな。」 まあまあ、と彼女の我儘に、いつものように朗らかに嗜めてくると思っていたのに。平素と違う彼の反応に、彼女は彼の顔を見返した。彼は相変わらず夕日をじっとみつめていた。夕日は傾くまでが長いくせに、沈むのは早い。半分ほど体を森に沈めた夕日の上に東から夜が迫ってくる。 「どこにいても、どこから見ても夕日ってやつはいつも綺麗だったなあ。昔は冒険の先で見る夕日は特別綺麗に感じたんだが、確かにこう見てみると街で見るのとそう大差はないな。」 「夕日が好きなんですね?」 「ああ、大好きだ。だってREDSTONEってやつと夕日はおんなじ色してるだろう。」 「見た事ないくせに!どうしてREDSTONEと同じ色だなんてわかるんですか?」 「わかるさ、どっちも俺が大好きなもので、ずっと追いかけてきたもんだからな。」 「なんですかそれ。ヘタな詩人みたいですよ。」と、ふざけるつもりだったのに、 「街でも同じ夕日が見れるなら、俺はきっと寂しくないだろうな。」 急に夜の風が吹き付けてきて、身が凍るよな寒気がした。 「な、何を。どういう意味ですか、マスター?」 「最後に、冒険者の最後の旅に、お前と一緒に見れて良かったよ。」 彼の背後で、最後の夕日のきらめきが消えていった。僅かに残る赤の残照の中で、彼はいつもの子供ような笑みをみせる。「今から一緒に時の森へ来てくれないか。」とワガママを行ってきたのと同じ顔だった。 彼が胸に着けていた紋章を外した。それを彼がまるで自分に手渡そうとするかのように、差し出してくるので、その意味を知っている彼女はフルフルと首を振って後ずさった。 「待ってください、マスター。」 「お前がいいんだ。どうか、最後のお願いを聞いてくれないか。」 「やめてください、最後なんて!」 「頼む。」 「嫌です、無理ですよ…。」 「無理です」と、再度呟いて、ずるずると彼女は頭を抱えて地面にしゃがみこんだ。 「無理ですよ、マスターが居ないギルドなんて。それに、なんで私なんですか。私より強い人なんて他にもいるじゃないですか。」 地面にぽたぽたと滴が吸い込まれていった。黒くなったそこは、すぐに夜に飲み込まれて見えなくなった。夜になってしまう。夕日と一緒に彼が居なくなってしまう。 「お前じゃないと、ダメなんだ。お前は俺の考えを一番理解してくれただろう。誰かのための武器であり続けることを。」 顔を上げると、紋章が目の前に差し出された。 「どうか受け継いでくれないか、俺の意志を。」 金縁の派手な装飾が施されたそれはギルドで唯一のもの、彼が何十年も掛けて作り上げてきたもの。自分が受け取らなかったら、ギルドは変わってしまうのだろうか。彼の意志は消えてしまうのだろうか。 彼女は紋章を受け取った。ぎゅっと紋章を胸に押し当てて、声を上げて涙を流した。そんな彼女を彼は抱きしめて、「ありがとう」と囁いた。 時の森に夜が来た。
BIS天(レーク)+シフ武(レイン)+姫(イレーネ)+ネクロ(セイラ)04.懐かしむレークはおもむろに立ち上がるとミトンを手にオーブンに向かっていく。時計を見ると、そろそろいい時間になっていた。イレーネとセイラが目を輝かせてレークの背に走り寄っていくのを横目に、オレは椅子を手にして背の高い食器棚の前に立った。食器棚の上、ホコリ避けに布の掛けられた籠の中から、目当てのものをいくつかとり出す。それを水洗いして水気を拭きとっていると背後から、まだかな、もういいかな、おいしそう、と少女たちが嬉しそうに囃し立てている声が聞こえた。 壁に立てかけられていた鍋敷きと先ほど洗ったケーキクーラーをテーブルの上に置いて、俺はもう一度洗い場に立った。冷暗所からアロードに出してもらっておいた氷を引っ張り出してボールに入れて、もうひとつそのボールより一回り小さなボールを中に入れる。ボールの中に生クリームの入った鉄缶と流し台にかけておいたケーキナイフと泡だて器を放りこんでテーブルに戻ると、ちょうどレークがオーブンから中身を取り出すところだった。オーブンの開けられる音とともに、部屋の中に二人の少女の歓声と焼きたての甘い匂いが充満した。 ボールを布巾の上に置いて、鉄板を取り出そうと戸棚に手を掛けたオレの背後に、とっとっとっ、と小さな足音が走り寄ってきた。服を引っ張られる感覚に目を下ろすと、イレーネがテーブルを指さして吠え立てた。 「レイン、レイン!ケーキはもう焼けましたのよ、クリームの用意はもうできていますの?」 「クリーム、からっぽ!」 「まあ!」 テーブルに置かれたボールをカランカランと鳴らして覗き込んだセイラが上げた悲鳴に、イレーネが大きな瞳の端を釣り上げる。 イレーネがまたキィーキィーと声を上げる前に、不意打ちのように戸棚の下から取り出したばかりのロール状のクッキングシートの筒を差し出した。持たせられるように押し付けられたそれに、慌てた様子で受け取ったイレーネは開きかけた口を噤む。 「クリームより、クッキーのが先だ。オーブンがまだ熱いうちに焼くぞ。」 「ケーキは冷めるまで待たないと、飾りつけできませんからね。慌てなくても大丈夫ですよ。」 「ああ、そういうことですの。」 イレーネはまだ不満そうに口を尖らせていたが、レークの解説に納得したようだ。オレがテーブルに鉄板を置くと、イレーネはセイラのように椅子の上で立ち、いそいそと巨大な2枚の鉄板いっぱいにクッキングシートを敷き始めた。オレは鍋敷きに型ごとケーキを置いたレークにケーキナイフを渡し、自分は包丁を手に取った。小さな子供(ふたりとも実年齢は違うが今はこどもの姿なので)に包丁は任せられない。手早く、丸められた生地を切っていく。満月のように丸く白い生地が量産されていく。 「セイラ、生地をシートの上に並べていってくれないか。」 「わかった!」 手持無沙汰になりかけてオロオロし始めたセイラに声をかけると、彼女は嬉しそうに頭上の炎を揺らめかせて、いつものグローブの上に調理用の手袋をつけた手でクッキーを鉄板の上に並べ始めた。丸い生地を全て切り終わり、市松模様のクッキーを切り出し始めたころにはイレーネも加わってクッキーが隊列を組んでいく。型からスポンジケーキを外し終えたレークが、クッキー生地のいくつかの上に大粒の砂糖や、チョコやナッツの欠片を埋め込んでいった。 「できたー!」 整然と並んだクッキーの隊列を、二人の少女は目をキラキラと輝かせて眺めた。初めて自分で作ったというのだから、感動も一入だろう。それぞれ一枚ずつ、大きな鉄板を両手を広げて持ち上げて、満足そうに自分の腕の中を眺めたあと、二人の少女は顔を見合わせてひとつ笑みをこぼした。 「それじゃあ、オーブンの中に入れてきてください。熱いですから、火傷しないようにきをつけてくださいね。」 「はーい!」 足音も軽やかに、二人の少女はオーブンへと走っていた。 レークが使い終わった道具を片し始めるのを見て、オレは生クリーム作りに手をつけることにした。生クリーム作りは根気のいる作業だ。シャツの腕を捲る。砂糖と生クリームをボールに入れて、傾けたボールの底をしゃかしゃかと掻き混ぜる。背後ではレークの洗い物の音がする。急に既視感を覚えた。 「なんだか昔を思い出しますね。」 それはレークも同じだったらしい。暖かいこの空気も、甘いにおいも、はしゃぐ子供の声も、よく知っている。楽しかった、の一言で終わらせるには、あまりにも終わり方が後味の悪かった記憶。カツン、と泡だて器がボールの底を強く引っ掻いた。 「昔ってほど前でもないだろ。」 「そうですか?あのころは毎日のようにお菓子作りを手伝ってくれたのに、冒険者になってからは一度も手伝ってくれたことないじゃないですか。」 「もうイイ子ちゃんでいる必要がなくなったからな。」 目的を達成するために、取り入ろうとしただけなのに。どんな腹積もりだったのか、そのことももう知っているだろうに。 「そんな。また手伝ってくださると、私はすごく嬉しいんですが。レインは本当によく気を利かせてくれるので、すっごく作業が進むんです。」 なんでアンタは無邪気に喜んでるんだか。チラリと背後を伺い見ると、手を拭いながら心底嬉しそうに目を細めて微笑みを浮かべているんもんだから、思わず肩の力が抜けてしまう。 「アンタって本当に、馬鹿みたいにお人よしだよ。」 「馬鹿だなんて。これでも私、ちゃんと人を選んでますよ。嘘を見抜く目も、人を見る目も両方持ってますから。だてに500年人間してません。」 「…そうだったな。」 レークのことをお人よしだと言ったけど、じゃあ自分はどうだろうか。きっと昔の自分が見たら、馬鹿だと言われるに違いない。オレはレークの事を信頼してしまっているし、この関係が続くことに甘んじている。 「私はあなたのことをあなたの心をみて好きになりました。あの孤児院にいる子たちと同じ、家族だと思ってますよ。」 嘘のようなこんな言葉にも、無邪気に喜んでしまっている自分が居る。けど、自分も同じなどと、そんな甘ったるい言葉は言えない。 「お人よし。」 嘘を見抜ける男なら、これくらいでも気づけるだろう? ふふっと、背後で小さく笑う声がした。 クリームがピンと角を立てた。コトンとテーブルに色とりどりのベリーの乗った皿が置かれた。ケーキクーラーの上にのせられたスポンジケーキは、綺麗な卵黄色の肌をふっくらとさせている。きっとこの砂糖たっぷりのクリームの甘さと、ベリーの酸味がよく合う立派なケーキになるはずだ。 レークが熱のとれたスポンジにナイフを入れていく。その時になって、ずっとオーブンの中を覗いていたセイラとイレーネがようやく戻ってきた。三者三様、あんまりにも嬉しそうな顔をするものだから、また手伝ってやってもいいか、なんて考えながら、オレは絞り袋にクリームを詰めていった。 旅に出るにあたって、いろいろあったレークとレイン。
ほんの少しだけ、二人が昔を思い出してるだけ。 05.望む天井一杯まで積み上げられた木箱たちはこの倉庫内を仕切る壁であり、中身が何とも知れぬそれらが、倉庫内に迷路のように入り組んだ通路や無数の小部屋を形作っていた。部屋と言っても、そこに人の営みは感じられない。稀に、誰かの気まぐれでティーセットが転がっていたりもするが、それ以外に人の生活を感じさせるものは何もない。 閑散とした風景に、改めてここは人が長居する場所ではないのだと、気づかされる。みな用事が終わればさっさと出ていく、それだけの場所。 小部屋の一室に彼はいた。階段のように段々に置かれた箱の上、高い方の箱に両足を置き、低い方の箱の上で仰向けに横たえた上体を、腹筋を目一杯使って素早く引き上げる。胸の前で交差するように組んだ両腕にも僅かに力が入って、フルリと拳が震える。 膝頭に額が触れたら、引き上げる時とは逆にゆっくりと時間をかけて、腹筋をずっと意識して、背が木箱に触れるギリギリまで上体を倒す。力は抜かない、背は浮いたまま、そこからまたもう一度、上体を素早く引き上げる。 ゆっくり戻す。引き上げる、戻す、繰り返し。 動作に合わせて、201ッ、202ッ、と数える声が鋭く吐き出される空気と共に彼の口から流れ落ちた。ずっと休みなく筋肉を意識し続けるものだから、回数を増すごとに負荷が重くなっていく。 200台も半ばを超えたあたりで、いよいよ動作が緩慢になってきた。ぐっと歯を食いしばり、震えながら起き上がった先で額がようやく膝に着くと、はあっ、と大きく息を吐いた。そのまま力が抜けてパタンと箱の上に寝っころがってしまう。 荒くなった息の合間に、「くそっ」と彼はひとつ悪態をついた。最後の一回をカウントに含めるか否かしばらく逡巡して、否と決めた。1増えようが、目標数値には遠く及ばない。 疲労に震える指先で撫でてみた自分の腰回りは、固く張り詰めてはいるけれど、貧相だと、この程度ではまだまだいけないと、思い知らされる。 ジワリとにじみ出た汗が額を滑り、前髪を湿らせた。悔しさやら疲労やら、内側からこみあげてくるものに耐えるようにきつく目を瞑っていたが、ふわりと鼻先をくすぐる香りに、彼は目を薄く開いて小部屋の入口を流し見た。 「いつから居たんだよ。」 彼と目が合うとケブティスは、コンコン、と近くの木箱をノックした。 「今来たとこさ。今日はパズルはしない代わりにおかしなことをやってるんだな。」 盆を片手に携えたケブティスが近づいてくるのを、彼は寝ころんだまま眺めていた。ここからは中身が見えないが、盆の上から紅茶のものらしい香りが漂ってくる。 「何だって、軍学校の訓練生の真似事なんざしてるんだ。お前さんは冒険家だろう?必要な力は冒険の中で十分身についていくだろうが。」 「足りてないから、わざわざ補おうとしてるんだろ。」 「ほう。オーガの巣穴で、いい鎧でも見つけたか。」 ケブティスの瞳がギラリと輝く。その顔が何を欲しているのかを察して、彼は体を起こすと、荷物の中から取り出した袋をケブティスに差し出した。ケブティスは盆を持っていない方の片手で器用に袋を受け取る。袋の中でジャラリと硬貨の擦れ合う音がした。 「なかなかいい旅だったみたいじゃないか。」 「それなりに、な。」 ふう、と息をついて汗を拭った彼の眼前にケブティスは盆の中身を差し出した。 彼の予想通り紅茶は確かに盆の上にのっていたが、それは一杯分しか置かれていなかった。彼の予想を裏切って、いつもなら自分の分の紅茶が置かれているそこに、水の入ったガラス瓶が立っていた。ほんとうに、いつからケブティスは自分を見ていたのだろうか。全く気付かなかった、と感心しながらガラス瓶を手に取った。湯気の揺蕩う紅茶と対照的に、ガラス瓶は冷気を感じるほどひんやりとしていた。 疲れた体に冷えた水はよく滲みた。 「オーガの巣窟の奥底には監獄があって、そこでオーガどもが研究者ごっこをしていた。精霊やモンスターを集めて、魔法や薬の研究をしていたみたいだ。まあ、所詮はオーガだし、たいした研究成果じゃなさそうだったな。間抜けな傭兵団がいたからついでに助けて、そいつらからの謝礼金も含めると、ざっと成果は--------ってところだ。」 彼の隣に腰かけて相槌を打ちながら紅茶を啜っていたケブティスは、彼が話し終わると「それじゃあ」と言って、袋の中に遠慮なく手を差し入れた。ケブティスの手がジャラジャラと硬貨を掻きまわす。 「ふんふん。おや、今回の情報料にしちゃあ多すぎるぞ。次回の予約分を足してもまだ釣りが出る。…何か他に買いたいものがあるみたいだな?」 「そのとおり。余り分は俺の悩みの相談料と、解決に当たって必要になる物資の購入費だ。」 「なるほど、わかったぞ。そろそろ次のを欲しがるころだと思ってたんだ。さあ、どっちだ、新しいパズルか、ビックリ箱か。」 得意げな顔をしてケブティスが懐から二つのそれを出してきた。ずいっと、差し出されるそれにそっと手を添えて彼は「悪いんだけど」と言って、押し戻した。 「探索能力はもういらない。」 「…何?」 途端にケブティスが片目を眇めた。 「まだマスターには届いてないだろう、どうした。」 「そうなんだけど、今のところ秘密ダンジョンは今の能力で十分対応できてるし、これ以上のばす必要はない気がするんだ。探索や鍵開けのレベルアップを図る時間を別の能力開発に当てたい。」 「別の能力?ワシはてっきりお前さんはトレジャーハンターの道を行くもんだと思っておったが。今後お前さんはどうしていくつもりなんだ。」 「…それは。」 ケブティスが訝しそうな顔をするのも彼は納得していた。確かに自分は今まで鍵開けや罠の解除、隠された秘密を暴く能力にのみ力を注ぐばかりで、それ以外のスキルは何も持っていないのだから。 だから、これから話すことにケブティスがどんな反応を返してくるのか、少し恐ろしくもあり、彼は一度言葉を切って水を含んだ。 「戦えるようになりたい。俺に合った戦い方を、教えてほしい。」 「戦い方、ねえ。」考え込むようにケブティスは顎鬚を何度か撫でた。 「武器を変えずに戦おうと考えてるなら、投擲の技術を鍛え抜けばそれなりの火力になるぞ。」 「投擲はものになるまで時間がかかる。高価で有能な装備や俺自身の基礎体力が整うまで、かなり。」 「もっと早く、技術の習得とともに力が発揮できるようなやつがいいと。ふん、それなら、」 彼は自分の横に座るケブティスの顔をじっと見つめていたはずである。ケブティスの姿が彼が瞬きをした瞬間、忽然と消えた。目を見張った彼の首筋に、ピタリと薄いものが背後から当てられた。耳元でケブティスの声がする。 「シーフギルド秘伝の技はどうだい。これなら相手は一撃で倒せるぞ。」 「アサシンになるつもりはないんだけど。」 「そうかい、そいつは残念だ。」 不満げな表情を作って首に当てられたティーカップの受け皿を指先で弾くと、ケブティスはけらけらと笑い声をあげた。 「武器は別に投擲ナイフに拘ってるつもりはない。」 「あー、だからって剣や弓を持とうなんざ考えない方がいいぞ。」 「それは分かってる。鍵を解除してすぐ攻撃に移行できるように、いちいち武器を鞘から取り出さにゃならんような隙は作りたくない。」 「よくわかってるな。となると、お前さんに合うような武器は無いってこともわかっとるようだな?」 いよいよ手詰まりな予感を感じて、彼は俯いた。ここまでは彼も予想し、そしてどうしようにもならないと気づいて落胆したのだ。自分がしたいと思っている戦闘スタイルにあった武器がどうしても思いつかない。かといって自分はただの人間であって追放天使や悪魔のような特殊能力は無いし、動物と心を通わせる方法や魔法を学ぶには年を行き過ぎている。 「やっぱり無理か。」 「まあそうじゃろう。だが、戦うすべがないとは言っとらんぞ。お前さんの速さを活かし、かつ武器の持ち替えをせずに攻撃できる武器がひとつだけあるぞ。」 ぱっと顔を上げた彼に、ケブティスは焦らすようにたっぷり間を開けてからそれは、と口を開いた。 「お前さんの手と足じゃよ。」 子供の喧嘩じゃないんだぞ。モンスターの中には岩より固いやつもいる。武器無しで殴る蹴るでそんな相手が倒せるもんか。 目を眇めた彼に、ケブティスはふふん、と得意げに鼻を鳴らした。 「武器なんてもんはな、己の体の延長にあるだけだぞ。ちょっと先が尖ってて、リーチが長くなるくらいで、相手の体を貫く力は腕の屈伸だとか足の踏ん張りだとか腰のひねり方だとか、結局体の動きで生み出されてるもんよ。クローや戦闘用グローブだとか、刃物のついた鉄製ブーツとか履けば、手足は剣と遜色ない立派な武器になるんだぞ。」 「…そんな戦い方、初めて聞いた。」 「半島の東側の田舎町では、昔っから続いてる立派な戦闘方法なんだがの。」 「そいつはすぐに習得できるのか。」 「本人の努力次第でいくらでも。少なくとも投擲よりかは早く使い物になると思うが。」 「どこで覚えられる?」 「このギルドにも武道の使い手はいるが、そうだなあ。みっちりやりたがるお前さんには、半端もんに教えてもらうよりは、道場に行った方がいいだろう。あとでワシから紹介状を書いてやる。」 「頼む。」 彼はふうとため息をついて、木箱の上に寝っころがった。安どの色が彼の表情にともっている。縋るような眼差しはどこかに消え、代わりにその赤紫の瞳が眩しいものを見るように眇められた。彼は何を回想していたのだろうか。どうにも興味が湧いた。 「ずいぶんと、思い詰めてたみたいで。」 「・・・・・・まあな。」 「転身を決意したきっかけを聞いても?」 上機嫌な様子で、ケブティスからすれば意外なほど彼は珍しく饒舌だった。 「ダンジョンに行くパーティはいつも同じメンバーだって言ったことあったか。」 「ああ、聞いた。お前さんが初めて秘密ダンジョンに行った時のメンバーだろ。だいぶ長い付き合いになるっていう。」 「そいつらに、このメンバーで一緒にギルドを立ち上げないか、って誘われたんだ。」 「ほう!それは目出度いな!ついにお前さんにも仲間ができるのか!」 ケブティスが心底嬉しそうな顔をして、彼の肩を叩いた。常々、1人で倉庫に入り浸る自分に「はやく仲間を作りなさい」と事あるごとに行ってきた人である、喜んでくれるだろうとは思っていた。けど、今はこの嬉しがってくれるのが少し怖い。 「みんな乗り気で、ギルドを作ることに決まったんだけど、」 「ほうほう!」 「俺はその誘い、断ったんだ。」 「……はあ?!なんでだ。」 「今の俺じゃあ、足手まといになるだけだから。探索能力なんてギルド戦や狩りでは何にも役に立たない。ギルドになるなら、戦えなきゃ。だから、一緒に戦える技術を身に着けるまでは、まだ仲間にはなれないって言ったんだ。」 「前々からおもっとったが、お前さんって、めんどくさいやつだ。馬鹿見たいに生真面目な上に、本当に馬鹿ときたもんだ。」 やれやれとケブティスが肩を落とした。どうせ一生モノの付き合いになるわけでもなし、これからの長い人生でいくつも出会いはあるのだ。重く考えすぎて、経験の機会を失う方がもったいない。面倒なこと考えずに、気が合うなら仲間になってみればいいのにと、ケブティスは気軽に考えている。 しかし、彼にとってしてみれば、こればっかりはどうしようもない。昔なじみの彼らと仲間になるには今の自分ではだめだと彼は痛感している。ギルド結成以前にも、旅や狩りを一緒にしないかと誘われていたが、自分が探索能力以外で役に立てないと彼はわかっていたからずっと断り続けていた。彼らと関係を持つのは秘密ダンジョンの攻略のときだけ、彼が自分が役に立てると確信を持てるときだけである。 そんな唯一の時ですら、自分は彼らの重りになっている。目の前で仲間が瀕死の傷を負っていく中、後方でちまちまとなんの足しにもならない攻撃しかできない非力な自分を恨む悔しさを知っている。解錠した扉の向こうから現れたモンスターの攻撃から自分を庇って傷を負う仲間の苦痛に歪む表情を、何度も見てきた。 すべては自分が弱いから。こんな自分が仲間になってよいはずがない。そのくせ美味しいとこはきっちりいただいく、こんな寄生虫のような生き方は終わりにしたい。 本当はその手をとりたい。仲間が欲しい。今度は後ろに立ってるばかりでなくて、心から山分けした宝物に喜びの声をあげられるように、同じ痛みを共有したい。 そのために俺は強くならねば。 彼はひょいと体を起こした。 「それで、その道場はどこにあるんだ?」 「しばらくはまあ待て。ワシが紹介状を書いてあっちから了承の返事が来るまでは、」 「早くその紹介状とやらを書いてくれよ。そしたら直接俺が手渡しに行く。返事が来てから出発するより、そっちの方がずっと早いだろう?」 「いやあ、そういうわけには…おい!」 「宿屋の荷物まとめてくるから、その間に手紙を書いといてくれよ。」 ケブティスが止める間もなく、彼はさっそうと箱の向こうに姿を消した。 我がままなお願いを押し付けられた気がするが、いつ振りかに見た無邪気な彼の様子に、まあいいか、と気持ちが削がれた。 あの様子では彼はすぐに戻ってきそうだ。早いとこ紹介状を書いてやろうと、空になった瓶とティーカップを盆の上にのせ、ケブティスは小部屋を後にする。 しんと静まり返ったその空間に、道場から戻ってくるころには、もう彼はこの部屋に入り浸ることは無いのだろうと、ケブティスは気づいた。 最後に自慢の紅茶を飲ませてやりたい、と思い立って、湯を沸かすならなおさら早く自分の部屋に戻らねば、とケブティスは小走りに通路を急いだ。 強くなることを望む。 リメイク:2014/10/29 |