06.願う



 ステンドグラスの薄暗い鮮やかさに彩られた教会の中にいるような、穏やかで神聖な空気があたりに満ちていた。

 荘厳な祭壇も宗教画もない、あるのは柔らかなベットと暖かな色合いをした木目の壁。ここは教会ではなく、なんの変哲もない宿屋の一室である。そんな場所にレークが神の気配を運んできていた。
 ベットに腰かけたレークは、聖職者の面持ちで手を胸の前で組み、神に無言で感謝の言葉を捧げていた。彼の彫の深い顔が窓から注ぎ込まれたばかりの朝日に照らされ、浅黒くも滑らかな肌に陰影がつき、彼の精悍さをより際立たせている。閉じられた彼の瞼のそばで、プラチナのまつ毛が白く光を弾いているのを見て、彼のこの顔を見たのは久しぶりだとレインは気づいた。

 今日という日が訪れたことに感謝の言葉を、毎朝の聖職者の務めだ。レークは誰よりも誠実に、誰よりも長く時間をかけて言葉を天まで紡ぐ。20分も30分も行われるそれを旅の間に見なかったのは、レークが最後の不寝番をすすんで買ってでるせいで彼が起きる瞬間を見逃していたからだろう。

 じっと動かないレークの顔を、レインはしげしげと見上げていたが、自然とあくびが出てしまうほど、まだまだ眠りの世界に戻れそうな心持である。ちょうどよく目の前に、枕よりも心地よさそうなものがあったので、誘われるままレインはシーツの上を移動した。
 頭を乗せただけじゃ、分厚くてちょっと首が疲れるかもしれない。いいポジションを探して何度か寝返りをうって、ようやく落ち着く。薄い寝間着越しに、ぼんやりと体温を感じた。
 僅かに戸惑いの色を浮かべて見下ろしてくる瞳に気づいて、レインは「お構いなく」と顔の前で手を払う動作をした。レークの膝は弾力があって暖かくて、いい寝心地だ。思わずまた、ふあ、とあくびが出てしまう。レインは再び目を閉じた。

 どれくらいそうしていただろう。
 ふいに、現実と眠りのふわふわと心地よい隙間を漂っていたレインの頭に、暖かくて大きなものが触れた。髪の表面を撫でるように滑る大きな手。レインが目を開くと、目尻をやさしげに綻ばせたレークと目があった。どうやら、日課は終わったらしい。神の気配はどこかに流れていってしまったようだ。

「おはようございます、レイン。」
「…はよう。よくそんなに長いこと喋ってられるな。毎朝やってて、話題が尽きないのか。」
「日常の中に幸福なことはたくさんりますから、ついつい長くなってしまうんです。今もレインのおかげで私、とっても幸せな気分ですよ。また明日の報告は長くなってしまいそうですね。」

 「ふーん。」と半端な返事をしたところで、まだ眠っていたいという気持ちがむくむくと湧き出てきたので、レインは口をつぐんだ。黙って半目になってレークの顔を見上げていると、察してくれたらしい、レークはそれ以上言葉を重ねるかわりに、髪に触れている手を再び動かしはじめた。
 太くて大きな指が、生え際から髪をかき上げるように地肌を撫でる。それがとても気持ちが良くて、感じ入るように目を閉じた。「猫みたいですね」とレークが小さく笑うのが聞こえた。どこまでも穏やかな気持ちで、あったかっくて、気持ちが良くて、確かにこれは幸せなのかもしれないとレインは思った。
 
 何事かと思われてしまわないよう、こっそりと微かに指先を組んだ。十字を切る動作は、孤児院に居た時の自分の姿を頭の中で思い描いた。
 感謝するだけでなく、またこんな幸福な時間が訪れますように、なんて次をおねだりしてしまったのは、我儘だったろうか。

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 BISの膝枕と、彼の大きな手について。
 会話がいっさいない。


























07.想う



 今夜は新月だ。そう気づいたのは、星たちの煌きがいつもより強く見えたから。
 月は明るすぎて空を照らしてしまうから、輝きの弱い星は月の光に飲み込まれて見えなくなってしまう。月がいないのをいいことに、いつもは控えめな星たちも今夜ははしゃぐつもりらしい。か弱い6等星までよく見えた。
 真っ黒の布の上でダイヤモンドの砂をばら蒔いたような空を見上げて、ふと、イレーネはカバンの底に仕舞ったままの指輪のことを思い出した。星空と指輪が頭の中で勝手に線で結ばれ、星座のようにある男の顔が浮かび上がる。指輪についたアメジストと同じ色をした瞳。イレーネに星の話をした男。

 前回、実父の元へ訪れた日もこんな星空の綺麗な夜だった。銀鳩の姿を解いてベランダに現れたイレーネの姿に、父は嫌な顔一つせず、召使に紅茶の用意をさせて部屋に招き入れた。
 特に用件がある訳でもなく、単に遊びに来てくれたのだと察すると、父は嬉しそうに話の主導権を持った。イレーネを退屈させないように滑らかに語りだされた今夜の彼の話題は、彼の娘たちの自慢話、彼女の姉妹たちの話だった。存在は知っていても名前も知らない気になる姉妹たちの話に、イレーネは耳を傾けた。私の娘たちは全員かわいい、という言葉でその話は始まった。ひとつひとつ彼女たちの愛おしい部分が名前と一緒にあげられる。
 曰く、指先の清らかさ、やわらかな薄桃色の頬、暖かな笑顔、ドレスの趣味。ただ、どれだけ懇切丁寧に説明されても、次々と一度限りの登場人物たちが流れるように現れては消えていくので、イレーネは姉妹の名前を覚えることは諦めた。指先の清らかさ、と聞いて思い描いた、白く細くまっすぐな美しい指や、白い肌に薄桃色をさした頬だとか、頭の中でつくりあげた像だけが残る。四肢や顔の一部に色をつけたマネキンが整然と並んでいく。長く話を聞いているうちに、いくつかは完全に消えていたかもしれない。彼が別の子の話を始める度に、新しいマネキンに色がつき、彼女たちは彼と笑い合い、共にピアノを弾き、星を見上げた。
 頭の中に残ったマネキンをぐるりと見回して、イレーネはそわそわと落ち着かない気持ちになった。
 私は?私の一番秀でているとこはどこですか?と、尋ねると、父は迷うそぶりも無く彼女の髪をひとふさ手に取った。

『クイーンハニーをしってるかい。上品に甘くて一級品と称されるほど良質で、まるで金粉が溶かされてるみたいに美しい色をしたはちみつさ。君の髪はまるでクイーンハニーと同じだ。滑らかで高貴な甘さを連想させるその色。僕の好きな色だよ。』

 キスまで贈られて、嬉しくなかったわけではない。ただ、意外だった。イレーネの容姿を褒める人は、まっさきに宝石のような青の瞳に称賛の言葉を贈るのが常だったから。彼女自身も自分の容姿の中で一番気に入っていた部分だった。自分よりも美しい子がいるということだろうか。

『瞳が一番きれいな子は誰ですか?』
『みんな綺麗な瞳をしているよ。』

 だから、一番なんて決められないよ。苦笑した彼は一言でその話題を切り上げると、再び娘たちの話をし始めた。誰が、ではなくみんなと。何色でもなんでもなく、まるで瞳の美しさを比べることに興味がないと言っているようだった。結局、瞳に色のついたマネキンは現れなかった。

 カバンの底から転がり出てきた指輪は、頼りない星明りの下でもキラキラと輝きを放っていた。イレーネにとってのこの指輪と星空のように、タートクラフトの中には口に出してしまえば明確な像を作り出してしまう”色”があるのだろう。比べようもなく美しい色をした瞳。小さな星のひとつぶなんて容易く飲み込んでしまう輝き。
 きっと、タートクラフトの婚約者は月のような人だったのだろう、とイレーネは予感した。


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 雰囲気もの。プリンセスと国王様の関係性。


























※注意

<カップルじゃないんだけど、少しそういう表現があります。>
<武道家にやさしくない展開があったりして、このカップル好きな人は閲覧注意です。>

08.見つめる

 そういえば昨日の夕飯どきに「そろそろお酒が底をつきそうですね。」とレークが呟いていたなあ、と、酒瓶を模した木の看板が風にキイキイと音を立てるのを見上げて、ライは思い出していた。
 率先して雑務をこなしてくれるからといって、なんでもかんでも新人に任せっきりのこの状況を、そろそろ忍びないと思っていたところだった。市民からの依頼をこなした帰り道、さいわい懐は温かい。たまには先輩らしいことをしようじゃないか、そう思い立ったライは意気揚々と酒屋の戸を開けた。

 ビール樽をひとつ。注文をとって提示された価格がやはり予想の範囲内に収まっているのを見て、少し気が大きくなっていたのかもしれない。ふと、カウンターのすぐそばにワインの瓶が積まれているのが目についた。たっぷりと注ぎ込まれた赤の液体に半透明の瓶の表面が黒く艶やかに輝いていた。白のラベルにシンプルな達筆で名称が書かれている。その飾らない様子から、辛そうな酒だ、と直感した。ライは辛い酒が好みだった。たまにはビールの爽快な喉越しではなくて、赤ワインの深い渋みを楽しんでみるのもいいかもしれない。じんわりと舌の奥に、いつか飲んだブドウの味が広がった気がした。

「お客さん、それが気になりますか。こいつは昨日仕入れたばっかのアウグスタの新作でしてね。私も試飲させてもらったんですがねえ、昨年の葡萄は実りがよかったせいか、深いコクと香りが楽しめる、文句なしの一級品に仕上がってますよ。ええ、もうすぐヴィンテージチャートが発表されますが、まちがいなくこれは高い評価がされるでしょうね。…だからこんなに値が張るんだろうって?いやいや、まだ星のつけられてない今だからこそ、この値段ですんでるんですよ。」

 今がお買い得ですよ。元より緩みかけていた財布の紐は、目敏い店主の一言で、あっさりと抜き取られたのだった。


*************


 決して安くはない酒だ。まずは一人で楽しみたい。美味かったらほかの誰かと、例えばいつも世話になってるレークに杯をすすめてみよう。
 一階から人の気配が消えたのを見計らって、こそこそと、そしてうきうきと、台所に侵入したライは晩酌の準備を始めた。つまみを盛った皿を居間のテーブルにのせれば、いよいよ主役の登場だ。小気味よい音を立ててコルクが外れると、ふわりと芳醇な香りが立ち昇った。一人きりの晩酌のために、夕食ではビールは我慢した。トクトクとグラスの内を静かに跳ねるワインの音は、期待に早打つ自分の心音と似ている。蝋燭の灯りの中で、キラキラと波打つ赤色に誘われるように、ライはグラスを傾けた。

 ん?と、疑問の声が上がった。
 もう一口。今度は口づけた瞬間から、眉根にぐっと皺が寄った。

 想定していたよりずっと爽やかなブドウの香りに、渋み以上の甘さ、のど越しも滑らかで、まさかブドウジュースかと疑ったが、胃が熱くなるのを感じて間違いなく酒なのだと知る。
 シックなラベルを見て、はあ、と大きなため息が漏れた。ラベルに騙された、まさかこんなに甘口だなんて。
 こんなジュースのような酒とも言えないような代物を、人にすすめるのは憚られた。かと言って、排水溝に流してしまうには、懐から出て行ったゴールドの枚数が多すぎる。仕方ない、と呟いて、ぐっとグラスを呷った。口内いっぱいに広がる甘さ。口直しにつまみを口に放り込んで、ライは舌を出した。苦い酒を想定して用意されたつまみは、どれも香辛料のきつめのやつばかりだ。ガタガタの組み合わせの悪さに、しかしやはりこの高価な酒を捨てる気にもなれず、ライはどうしたもんかと途方に暮れた。

 うーん、と唸り声を上げるライの耳に、階段を下りてくる足音が聞こえてきた。隠れて酒を飲んでいたことを思い出したが、こんな酒なら今更隠す必要もないと開き直って、台所の扉が開かれるのをライは大人しく待った。

「あー!一人酒なんてずるいぞ!」

 背が高く、刈り取られたばかりの芝のような短な毛をツンツンさせている髪型、男物のよれたシャツの裾からぼりぼりと腹を掻くその人は、カーネリアンだった。扉を開けた時には確かに眠そうな顔をしていた彼女は、テーブルの酒に気付くなり、ぱっと目を開けて素早いステップで突進してきた。アルコールで見間違えていたわけでなければ、突進の瞬間分身していたような気もする。次の展開を察したライが手放したグラスは、空中に放り出されてすぐカーネリアンの手の中に収まっていた。衝撃にゆらん、と零れそうなほど揺れているグラスの中身をカーネリアンは一息に呷った。

「うわ、ずいぶんと甘口だな!ワインじゃないみたいだ。お前、こんな可愛らしい酒が好きだったか?」
「ぜんっぜんだ。俺には甘すぎて飲めたもんじゃない。」
「あらま。」

 少し溢れたらしい、口の端をグイと親指で拭ったカーネリアンが目を丸くした。酒が入っているせいか、相手が大抵の悩み事は勢いで吹き飛ばすタイプのカーネリアンだからか、つい愚痴が出そうになる。ライは背もたれに寄りかかって天井を仰ぎ見た。

「こんな酒買わなければフルポーションが何本買えたことか。」
「ライ。グチグチするなんて熱血漢のお前らしくないぞ!アタシにいい考えがある、ちょっと待ってろ!」

 バタバタと大きな足音を立てて、彼女は台所に突進していった。本当に男より男らしいやつだな、と、ライはその背中を見送った。
 戻ってきた彼女はワイングラスをもう一本とロックに砕かれた氷を持ってきた。空のグラスに氷を入れてワインを注ぐ。自分のグラスの中にも容赦なく氷をどぼどぼと入れられて、ライはギョッとした。

「おいおい、ワインに氷なんて・・・」
「そう言わずに飲んでみろ。マシになってるぞ。」

 ワイングラスの中に氷、真っ赤な液体の中に突出する透明な物体。不自然なその酒を、疑念を抱きつつライは飲み込んだ。
 キツイくらいに爽やかすぎた香りが冷えたせいか抑えられ、甘い味も薄まっている。まだ甘いが飲めないこともない。

「確かにマシだ。」
「だろう?」

 感心したようにライが呟くと、どうだ見たことかと、カーネリアンが大きく口を開けて笑った。

「捨てようにも捨てがたくて困っとったんだが、これなら飲み切れそうだ。」
「せっかくのいい酒が勿体ないな。女の子はこういうの好きなんだぞ。」

 それはいいことを聞いた。ギルドには、酒の好きな成人女性が一人いるじゃないか。

「じゃあ、セシルにでもやるか。」
「そこはアタシにくれよ!」
「なんで?ああ、そうか、お前も女だったか!」

 半分本気、半分冗談でそんなことを言ったライに、カーネリアンはわざとらしく腰をくゆらせ、うふん、と笑ってにじり寄ってきた。

「あらひどぉい、」
「あははっ。やめろ、気持ち悪い。」

 笑って押しのければ、カーネリアンもニヒヒヒッと下品な笑い声を立てて飛び退いた。

「そうだ!つまみもちゃんと合うものを選べば、もっと飲みやすくなるだろう。」

 再び彼女は台所に消えていった。戻ってきた彼女は、また意外なものを持ってきた。板チョコのようだ。彼女は手で砕くと、やはり許可もなくライの口の中に放り込んできた。どうやらビターチョコのようだ。
 いくらビターだからって、板チョコなんか合うものかと。疑念が浮かぶが、先の例もあって期待する気持ちもあった。舌の上でとろけたそれに、冷えたワインを飲み込むと、瞬時に固まった。期待は裏切られ、妙な舌触りに閉口する。

「これ本当に合うのか?」
「いーや、アタシが好きなだけだ。この組み合わせは嫌いだって言うやつのが多いかもな!」

 変わりもんだ。
 微妙な酒に、微妙な組み合わせのつまみ。それを大喜びで食す男女(おとこおんな)。
 カーネリアンはこのまま晩酌を始めるつもりらしい。付き合う気持ちで、ライも飲みやすくなったワインを飲み続けることにした。

 つまみは無しで飲み続けよう、とライは決めていたが、カーネリアンの方はライにチョコを食べさせることが気に入ったらしい。会話が一休みするたび、思い出しように自分が食す傍ら、ライの口の中に放り込んでくる。
 なんだか餌を与えられるひな鳥の気分で、しかも大きな欠片を唐突に入れてくるものだから、話の腰が折れるので、ライとしては面白くない。何度目かの餌やりに、ついに自分で食べるといって、差し出されたチョコの欠片を自分の指で摘まんだ。

 ふと、妙な違和感を感じて、ライは思ったままを口にした。

「チョコ小さくなってないか?」
「意外と酔ってるなライ!そんな早くにチョコが溶けるはずないだろう。」
「…だよな。」

 酔ってる、酔ってる、とカーネリアンは一通りはしゃいだ後、また話を再開した。ライは相槌を打ちながら、ぼんやりと手渡されたばかりのチョコを見つめる。さっきまで大きく見えたのに、自分が持つと同じ欠片が小さく見えた。隣でカーネリアンが新しい欠片を砕いているのを見て、ああ、そうか、とライは納得した。ライの指よりもカーネリアンの指はずっと細かったのだ。溶けたチョコが爪の上に流れたのを見て、慌てて口に放り込んだ。

 ゆっくりと溶けていくチョコの甘さを転がしながら、そういえばコイツは女だったと、当たり前のことを思い出した。カーネリアンの性別が女だということを忘れていたわけではない。ただ、そういう目で、”女”として見たことが無かったのだ。出会った時からカーネリアンはカーネリアンだった。男のような口調や見た目、周囲を巻き込んで振り回す破天荒な性格。始めからライのカーネリアンに向ける意識は同性の友人に対するものと同じだった。

 カーネリアンってとっても綺麗な人だよね。

 そう言ってたのは誰だったか。確かによくよく見てみれば、綺麗な顔をしている。顔だけじゃない、手足は長いし形もいい、胸だって決して小さくない。
 どうして男の真似をしているのだろう、相当な美人だってのに。
 いつも、木製のジョッキを片手に大口開けて笑っている姿を見慣れているはずなのに、持ち手の細いガラスのグラスを傾ける様が妙に似合う。蝋燭の灯りを反射する彼女の濡れた唇が酷く淫靡に見えて、ライはすいと目を外した。

 ああ、いけない。ずいぶんと自分は酔っているらしい。

 チョコの甘さが際立ってワインの甘みを感じない。かわりに後味にうっすらと葡萄の香りの渋みを感じた。合わないと感じたはずなのに、何か癖になる。

 たまには変わりもんも食べたくなるもんだ。そう思えば、急に空腹感を感じた。綺麗な指先が砕くそのチョコを早く口の中に入れてほしい。

「お前さん、綺麗な指してるよな。」
「発情すんな。」
「しとらんわ。」

 彼女の指先に溶けたチョコがついている。あのチョコはもっと美味そうだ。もしも、この指をひょいと口に含んでみたなら、女の顔を見れるのだろうか。ふと、そんな考えが頭をよぎった。

 期待したのは甘いチョコの熱、しかし、現実に口内へ招き入れたのはゾッとする冷たさ。舌を凍えさせる氷の粒に、ライは思わず噎せそうになった。

「なん…っ?!」
 
 ライは自分がカーネリアンの手首を握っていたことに、それが振り払われてから初めて気付いた。理解が追い付かないまま、鋭い衝撃がライの胸倉に走る。すぐ目の前に、ライを掴みあげて引き寄せたカーネリアンの顔が迫っていた。男前なその顔に、氷のような鋭利な冷たさが満ちている。

「二度とそんな目で見るんじゃない。」

 ぱっと手を離されて、茫然としたままのライを椅子が慌てたような音を立てて受け止めた。
 沈黙したままのライをしばし見下ろして、カーネリアンはニコリといつものように歯を見せる笑い顔になった。

「酔っぱらいのライくんは、早く寝ろよー。」

 後ろ手に手を振りながら去っていくカーネリアンの姿が扉の向こうに消えていく。残されたのは空の瓶と飲みかけのグラス、溶けかけたチョコの欠片、転がった氷たち。
 椅子にぐったりともたれ掛って、ぐらぐらと眩暈を起こしている頭を押さえるように目を覆う。回り続ける頭では自分に何が起こったのか、自分は何をしようとしていたのか、推測しようにも無理がある。
 ただ、どうやらドジを踏んだらしいと、それだけは分かった。


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 あんまりにもライが可哀想だったので、後半部分改変。


























09.悩む



 なにやら焦げくさいにおいがする。

 冒険者の卵たちが日々訓練にいそしむこの学び舎では、練習中に案山子に放った火のカケラが服について焼けてしまった、なんて話はよくあることだ。染みついたのか、誰かしらがいつも焦げているのか、ここではまれにそういうにおいがする。その学び舎の長たるケイルンが厳しい色に顔を変えたのは、布地が焦げ付いたにおいに混じって、火薬特有のにおいがしたからだ。それもシーフたちが罠に使うには適量を超えた、大量な火薬が発火したにおい。煙るようにかおるそれが倉庫の方角からしてくる、ということもあって、ケイルンは急ぎ足でにおいの元を辿っていた。

 だから、倉庫に保存していた火薬の大樽ではなく、教え子の子供が元凶だとしれて、ケイルンはほっと胸を撫で下ろしたのである。
 だが、どうにも様子がおかしい。頻りに棚の陰から廊下の向こうを伺っている仕草は、まるで何かから隠れようとしているようだ。ケイルンは首を傾げた。

「おーい、ナスタ!」
「うわっ。」

 声を掛けると、練習用両手剣と盾を背負ったその小さな後姿がビクリと震え、

「先生、静かにっ!しーっ!」

 わたわたと手を振り回しながら、ケイルンの元へ駆けてきた。近くで見ると、火薬のにおいを纏ったナスタは、服はボロボロで、空色の髪は毛先がチリチリに焦げ付き、顔は煤けている。「どうしたんだ?」と、ケイルンが口を開くと、再びナスタが「しーっ」と叫んだ。服の裾を引かれてケイルンが屈むと、ナスタは「静かにお願いします」と声を落として言い、口の前で指を立てて見せた。小さな声も、不安そうにきょろきょろと後ろを振り返っている姿も、常の溌剌としたナスタからはかけ離れていて、ケイルンはますます首を傾げる。ナスタに合わせてケイルンは声を落とした。

「派手な冒険だったみたいだな、すごい格好だ。それで?何をしてるんだ?」
「これはちょっと…いろいろあったんです。今は、その…隠れてるんです。」
「何から?」
「フェシスからです。」

 フェシスと言えば、ナスタの相棒である少年シーフだ。
 傾げた首がいよいよ肩に着きそうになり、ケイルンは反対側に首を傾げた。

「なぜだ?かくれんぼか?」
「……。」

 ぎゅっと下唇をかみしめて、ナスタは下を向いてしまった。床を見つめる空色がユラユラと水の溢れてしまいそうなグラスの表面のように揺れている。火薬のにおいといい、随分と穏やかな話ではないようだ。

 キャンディーは体の傷や消耗した精神力を回復させる魔法アイテムだ。この甘さは、心に安らぎも与えてくれることを、ケイルンは知っている。

「まあ、これでも食べて落ち着きなさい。それから、もしワシに話せることなら、話してみなさい。」

 キャンディーSPを差し出すとナスタはようやく顔を上げた。勢いよく受け取って、がじがじとキャンディーを平らげると、意を決したようにナスタがケイルンの目を見た。

「ぼくは、運が無さすぎるんです!」


****


 西口の墓地に最近出没する野良犬を退治する、簡単なクエストのはずだった。

 フェシスが罠を大量に設置し、ナスタが野良犬を誘い出し、体力の減ったところを二人で倒す。このやり方で、順調に二人は野良犬を狩れていた。

 けれど、ナスタ曰く”不運”というものが突然やってきたそうだ。
 ナスタが足を滑らして転倒した。こけた拍子に触れた墓石は、たまたま老朽化していて、あっさりと倒れた。その隣にあった墓石もその隣も…、周囲の墓石はどれも脆く、そして密接していた。まるでドミノ倒しのように、一帯の墓石は倒れていったそうだ。

 ただ佇んでいただけのゴーストやゾンビは、自分の墓石が壊されたのを見て怒り狂い、巻き添えをくらった他のモンスターも襲い掛かってくる。倒しても倒してもモンスターはどんどん増えていく。ゴーストからは火炎の集中砲火を、ゾンビからは囲まれて袋叩きにされて…散々な目にあったそうだ。


****


「…それはツイてなかったなのう。その状況で、よく生きて帰ってこれたもんだ。」
「フェシスのおかげでなんとかなったんです!」

 パッとナスタの瞳がキラキラと輝いた。トーンダウンしていた声に、いつもの躍動感が戻ってくる。

「たまたまフェシスが持ってた火薬の瓶が割れて、設置してあった罠の上にどばーって拡がったんです。それを見たフェシスが閃いて!火薬をどんどん撒いて、罠を書き換えたら罠が全部どかーんって爆発しまして!ほとんどのモンスター吹っ飛ばしてくれました!」
「そっちはツイてたな!ははー。それで、フェシスが「ナスタのせいで酷い目にあった」って怒ったから顔を合わせたくないって話か?」

 途端に、両拳を握りしめて熱く語っていたナスタの顔から生気がぬけて、しょぼくれた表情に戻ってしまった。

「…違います。フェシスはぜんぜん怒ってないんです。むしろ、ゴーストの魂がぎょーしゅくされた珍しい宝石?が、手に入ったってよろこんでるくらいで…。」
「フェシスは本当に運がいいな!それなら、なんでフェシスを避けるんだ?」
「ぼくがフェシスに合わせる顔がないからです!フェシスは優しいから、気にするなって言ってくれてるけど…。けっきょく、ぼくが運が無かったせいで、フェシスにケガをさせたのは事実ですし!フェシスはぼくを助けてくれるためにやってくれたのに、フェシスだけジョン先生に叱られてるし!」

 ジョン先生というと、冒険者の家の戦闘教官ジョン・マルコのことだ。シーフや武道家のスペシャリストでもあり、フェシスの師でもある。

「どうしてジョンが?」
「…フェシスはまだ火薬に触っちゃいけなかったらしくて。」
「なるほどのう。」

 ケイルンよりも先にジョンは火薬のにおいを嗅ぎつけたらしい。危険な火薬を多量に勝手に持ち出し、しかも使ったとあっては、かの短気で誰よりも教師らしい教師の友人が、どんな風に怒りをあらわにしたのか、付き合いの長いケイルンには想像がついた。

「ぼくがあんなトラブル引き起こさなかったら、フェシスも怒られずにすんだのに…。」
「持ち出した時点で、いつか叱られていたとおもうがのう。悪いことがたまたま重なっただけで、そう深刻になることないだろう。」
「だって、今日だけじゃないんですもん!いつもそうなんですよ。ぼくが、すっごく運が悪くて、簡単な任務でもいつも何かが起きるんです…。そのたびに、フェシスは巻きまれて、ぼくのこと助けてくれる。ぼくのこの運の無さが、いつかもっと危険なものを引き寄せて、フェシスに大けが負わせちゃうんじゃないか。…そうなる前に、もう一緒に居ないほうがいいのかな、って思って。」
「だからフェシスを避けてると?」

 深刻な表情で、ナスタはこくりとうなづいた。

「どうしてぼくはこんなに運が無いんでしょうか…。」

 トラブルメーカーな剣士と、ラッキーボーイなシーフ。どこかで聞き覚えのある言葉だ。そういう風に揶揄されなくなって、随分と月日が経っていたらしい。懐かしさに思わずケイルンが笑ってしまうと、ナスタが訝しそうな顔で見上げてきた。

「なあ、ナスタよ。よく聞きなさい。」

 いつも剣術の指南をしているときのように、ケイルンはナスタの目を正面から受け止めた。不安げな表情の彼の頭をあやすように軽く撫でた。

「お前が運が無いのは当たり前だ。理由は単純明快!お前が剣士だからだ。」
「先生、どういう意味ですか?」
「剣の道を行く輩というのはなあ、神様に試される性質なんだ。神様ってのは、真っ直ぐひたむきに頑張ってるやつが大好きでな、己の信念を貫く剣士の生き方はお気に入りなんだそうだ。だからこそ神様は俺たちの人生に肩入れしてくる。難題にぶつかるとな、乗り越えていく過程でいろんなもんが見えてくるだろう?そうやって剣は極めて行くもんだから、わざわざ神様は俺たちのために、学んでいけるように、人生の行く先々に試練を置いといてくれてるんだ。神様が用意した難題が、お前の言う”不運”てやつなんだよ。」
「じゃあ、ぼくが剣士であり続けるなら、ずっと運の無さは変わらないってことですか?」
「そうなるな。ワシもずーっと昔から運が無いといわれてきたからのう。」
「なら、やっぱり…」
「だがな、ナスタよ。困難の向こうにあるのは、いつも苦労だけではないだろう。乗り越えただけの、もしくはそれ以上の見返りが待ってたはずだ。」
「ぼくにとってはいい学びの場でした。だけど、フェシスにとっての得なんて、無い。」
「そうかのう?今回の件で手に入ったレアな宝石。あれは、ナスタのトラブルを引き寄せる不運とフェシスの解決する幸運が、ふたつ合わさったからこそ手に入ったんじゃないか。」

 ナスタの瞳は不安に揺れている。都合のよい解釈だ、と思われているかもしれない。ただ、剣の道を行くのなら、不安に駆られるだけで終わってほしくはない。同じ道を歩んだ先輩として、気付いてほしいことがある。

「ナスタはフェシスから離れたいと、本心で思っているのか?」
「それは…。」

 言いよどむということは、答えが出ている証だ。ナスタに必要なのは、困難を乗り越える、あと少しだけの勇気だ。

「お前にとってのフェシスのように、ワシにも相棒がいた。何度もいろんなことに巻き込まれたが、またか、と飽きられはしても、結局最後まで愛想をつかされることはなかったぞ。巻き込む以上の成果を返してやろうとワシも必至じゃったからな。」
「先生の相棒って、奥さんですか?」
「いいや。あれはワシにとっての生涯のパートナーじゃが、幸運の相棒はまた別だ。」
「…もしかして、ジョン先生?」

 「そのとおり」と、ケイルンは笑った。

「今思うと、死んでないのが不思議なくらい、いろんなもんに巻き込まれてた。あいつがいたから、死んでないんだろうな。見たところ、ナスタとフェシスの不運・幸運ぶりはワシとジョンの関係によく似ている。お前にとっても、一生涯の相棒になるやもしれん。」
「先生たちみたいな…!」
「巻き込んですまないと思うなら、それ以上の見返りを手に入れろ。剣士なら学んで強くなれ。嘆いていたってどうしようもなかろう。本当は一緒に居たいと思うなら、相手にそう思わせるような男になるべきだろう。」

 だから逃げるな、と、ケイルンは強くその瞳に訴えかけた。息をつめた少年の瞳に、光が差し込んだ気がした。

「たしかに、そうかもしれません。ぼく、フェシスと離れたくないです。先生の言う通り、強くなるべきだ!」

 キラキラと情熱の灯が少年の瞳の中で煌めいている。ケイルンは笑みを浮かべると、ガシガシと小さな頭を掻き回した。

「まあ、長くなったが、何が言いたいことかというと、努力でいくらでも解決できることだから心配するようなことじゃないんだよ。ああいうタイプは、利益より損が多いと気付けば勝手に離れていくしのう。それも嫌だって言うなら、一緒に居たいと思わせ続けろ。ワシのように、捕まえとけ!」

 「はい!」と元気よく答えてから、ふと、ナスタは思案気な顔をした。

「先生、ひとつ質問です!先生の奥さんは、一生のパートナーなんですよね?」
「ああ、そうだぞ。」
「けど、ジョン先生も一生のパートナーなんですよね?」
「そうだ。」
「先生…」

 すると、ナスタはどこか咎めるような視線を向けてくる。ん?と、ケイルンが首を傾げると、ナスタは思い切ったように口を開いた。

「それって二股って言うんですよ!」

 ナスタよ、それは違うぞ。
 神は自分にまだ乗り越えるべき困難を用意してくれたことを、ケイルンは知った。

「…お前は子供に何の話をしてるんだ。」

 不運がすぐそこに来ていた。

「フェシス!ジョン先生!」
「おいナスタ!どこにいるのかともったら…。探したんだからな!」

 不機嫌そうな表情のシーフが二人現れた。

「ジョン先生!ケイルン先生は結婚されてるんですから、先生は2番目のパートナーで我慢してくださいね!」
「…ケイルン、お前本当に何を吹き込んだんだ。」

 つかつかと詰め寄るジョンと行き違いに、ナスタはフェシスに駆け寄った。「フェシス!」と、その名を叫んで、両手を握る。

「僕とずーっと一緒にいてください!」

 プロポーズか?と笑う学長の頭を教育上の適切な処置にのっとって、ジョンははたいた。フェシスは爆発に吹き飛ばされたせいでナスタの頭が壊れたと本気で思ったらしく、以後、火薬を使った罠は作らなくなったそうだ。




→→back 




 私くらいのね、こじらせた腐女になりますとね、キャラの初期ステータスを比較しただけで妄想がいくらでもできるんですよ。初期ステ運0の剣士と、運自動上昇のシーフ!対比っていいなあ。言動が激しくキモチワルくて申し訳ありません・・・!


























10.惚れる



 あ、とサマナーは声を上げた。発見と閃きを含んだ、明るい調子で跳ねた感嘆符につられて、資料の山を熱心に眺めていたWIZが、瞳だけを持ち上げてこちらを見上げてくる。彼の焦点は間違いなくサマナーのそれと結びついているはずなのに、遮るもののせいで確かではない。緑の双眸を遮るブラウンは、なおのことざんばらに見えて、サマナーは思わず指先を伸ばしていた。彼の頭頂から顔の前を通り胸のあたりまで緩やかに垂れていた前髪たちは柔らかで、笛で指揮を執る時のようなサマナーの指の動きに従順に従う。すい、と押し上げられ耳にかけられた髪は、けれど量の多さに留まりきれず、ぱらぱらと崩れ始め、最後はどさりと、彼の顔を再び覆った。

 戻ってきた前髪は彼の睫毛を擽ったのだろう。ん、と小さく声を漏らし、眉間にしわを寄せながら、何度も目を瞬かせる。それはサマナーが幾度となく見てきた彼の"癖"によく似ていて、

「ああ、やっぱりそうなんだ」

と、声に出して確信した。
 WIZは顎を上げると、慣れた手つきで左右に割るように長い前髪を面前からどかした。

「何がやっぱりなんだい?」
「あのね、わたしずーっと勘違いしてたって気づいたの!こーするのって癖じゃなかったんだね。」

 考え事をしているときの彼は、時折難しい表情で目をぱちぱちとさせる。それが彼の"癖"なんだろうと思っていた。
 はらり、と落ちてきた前髪の一房を、彼がしたようにもっと奥の方へ押しやった。

「これじゃあまた目に入っちゃうよ。邪魔にならないように、髪結んであげる!」

 ひゅるり。小さな風が傍らで巻き起こる。主人の意思を汲んだウェンディがサマナーの手中に櫛を落としていった。鳥類に似た嘴に、ロマの民族衣装を連想させるミサンガを咥えている。

「ありがとう。髪を結ぶのは初めてかもしれないな。せっかくだ、お願いしてみようかな。」
「任せて!」

 胸を張ったサマナーの頭を一つ撫でて、WIZは再び資料に目を通し始めた。
 俯いた彼の顔へさっそく滑り落ちていく前髪を受け止めて、サマナーはさっそく櫛を通し、そしてすぐに櫛をウェンディに返すことになった。何度切り込む場所を変えても、櫛はすぐに絡みに飲み込まれ、すすみそうにない。櫛の代わりに、指を差し込む。ゆっくりと慎重に、指で縺れのひとつひとつを丁寧にほどいていく。緩やかなウェーブと穏やかな色味に、ふわりと柔らかな手触りを想像していたけれど、意外に一本一本が太く固くしっかりとした髪質だと知る。触れ心地の良さが、サマナーの愛する赤毛の神獣を彷彿とさせた。
 紙を捲る音がいつの間にか止まっていた。伺い見れば、WIZは心地よさそうに目を閉じている。ますます、神獣たちの毛並みを撫でたときのことを思い出させる。労わるように、指先で優しく優しく触れた。
 WIZの髪は腰ほどの長さまである。毛先までようやく辿り着いて、ふと、思いついた疑問をサマナーは口にした。

「ねえ、長い髪にはどんな意味があるの?」

 どんな疑問にも明瞭でわかりやすく答えてくれる、WIZはサマナーにとって冒険家の師匠だった。そんな彼が返答ではなく、小さく笑ったものだから、再びサマナーはWIZの顔を覗き込んだ。羽毛が首筋に触れたみたいに笑い声を立てたWIZは「ああごめんね」と笑みを浮かべた。

「いや、君らしいなあ、と思っただけさ。大抵の人はみんな、髪を切りなよって、すすめてくるもんだから。初めからそんな風に尋ねてきたのは、君だけだからね。」

 確かに、ただ横着しているだけならば、切るべきだ、とサマナーも進言していたに違いない。
 サマナーですら髪には段やすかしを入れてある。WIZの髪はまるで一度も切られたことが無いようで、きっとこの予想は正しい。調節されていない髪はずしりと重く、そうでなくても時折目に痛みを走らせる。
 けれど、それって、なんだか。

「なんだか貴方らしくないけど、だからこそ、何か理由があるんだろうなって。」

 道端に転がる石にすら、山を雨風が削り川を流れ誰かのつま先に弾かれて、今そこにあるのだから、何かしらの意味があるとWIZは言った。サマナーから見ればただの風景の一部でも、WIZから見ればその石ころ一つがギルド戦争の作戦の判断材料になる。組織の上に立つ、非常に合理的な人。この髪にも何か意味が込められているに違いなかった。

「…君は本当に、いや、さすが、神獣と共感できるほどだもんなあ。」

 つぶやかれたWIZの言葉は聞きのがすほどに不明瞭だったので、聞かせるための言葉ではなかったのだろう、と判断してサマナーは最後の仕上げに取り掛かった。何色もの布地を編んで作られたミサンガはきゅっと絞れば布地が伸びて固くなる。軽めに束ねた髪を解けてしまわぬよう固く結んだ。改めて見てみれば、本当にWIZの髪は長い。
 サマナーに向けられたはっきりとした面は、いつもの先生の顔に、何か別のものを含んでいた。

「これはね、魔術師の習慣なんだ。髪や髭の長さは、その人の年齢を表す指標になる。だから、少しでも年かさに見えるように髪や髭を伸ばしっぱなしにするんだよ。」
「どうしてお年寄りに見せたがるの?」
「魔術とは、知識と経験が積み重なるほど、実力が上がるからね。修練にかけられる時間は年齢と比例しているから、年上ほど実力があるとみなされて、尊ばれるんだ。僕たち魔術師は見栄っ張りな生き物だから、こんなことが習慣になってるんだ。…ちょっと、古い習慣だなあ、と僕も思うけどね。」

 言葉じりを濁した彼は、合理的だからこそ、気付いた時にはすでに身に馴染んでしまっていた習慣というものに、彼は心と行動の間に矛盾を感じていたのかもしれない。「うーん」とサマナーは首をひねる。

「それって見栄っ張りなのかな?」
「見栄だとも。無駄なことをしてるんだから。」
「そうかなあ。私の村でも、そういう風習あるよ。私はこれだけ召喚できるんだぞーって、言うために、何でもない日もみんな召喚獣を強化して連れ歩くし、タトゥーや鉱石を見せびらかすもの。」

 あるいは、闘技場で戦士が普段よりも重く大きな剣や鎧を選ぶような、街歩きで女性が鮮やかな流行の服を身に着けるような。誰もがもつ程度の"見栄っ張り"だとサマナーは感じた。

「それってきっと、普通のことじゃないかな。」

 顎に手を当ててWIZは考えるそぶりを見せた。彼の顔にブラウンがかかることは今はない。考え事をする時は俯く、こっちが正しく彼の癖のようだ。人差し指の腹で何往復も撫でられている彼の顎に、サマナーは触れた。つー、と辿ったそこには人肌の柔らかさのみがある。

「WIZは髭が生えてないんだね。けど、私はこのまま、生えないでいてほしいかも!ちくちくするのは、ちょっとやだなあ。」

 つるりとした彼の顎に、すりすりと頬を触れさせた。髪も髭も、遮るものは無い。直接触れた肌と肌は互いの熱が伝わってきて、魔術師にとって見栄というものがいかに重要なのかよくわかってはいたけれど、やはりこのままの彼でいてほしいと願ってしまう。

「ありがとう。…やっぱり君は本当にすごい子だ。」

 ぎゅっと抱きしめられる。耳に触れる彼の声も、背中に回された手のひらの熱も、この身を包む彼の存在がどれもあたたかくて、サマナーは嬉しそうな笑い声を立てた。



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 魔術師たちの髪が長い理由。
 (WIZがサマナーに)惚れる。
 このWIZはアラサーかな。髭が無いせいで、実年齢より若く見られがちだったのが、コンプレックスだったりした。(サマナーのおかげで解決済み)











リメイク:2014/10/29