これまでも、情報を集めてきっちりと計画を立ててから旅に出た日よりも、どこに何をしに行くかも決めないまま旅立つ日の方が多かった。気に入りの武器を備え持ち、衣類や毛布などの必要最低限の生活必需品と、嗜好品を少々、後はカバンの空いたスペースに詰められるだけ食べ物を詰めこむ。気の向くままに西へ東へ街を出て、分かれ道を倒れた棒の指すままに進み、時に洞窟へ、時に未開の地へと足を踏み入れていく。そうして進めるだけ進み、手持ちの食糧が尽きかけたころに街へ戻る。そんなてきとうな旅ではあったけれど、常に街へと帰るカバンの中には旅の成果がぎっしりと詰まっていた。仲間が増えるごとにより遠くの世界へ、実力がついていくうちにより強力なモンスターに挑んでいった。
そうしていくうちに、旅の成果は敵の落とした武器から、ダンジョンの隠された宝石だとか、新しい地図だとか、より高価なものが増えていき、いつしか彼らは"大冒険家"と呼ばれるようになっていた。
旅を重ねていくうちに、新たな発見と出会える喜びがあった。仲間との友情が深まった。名声が、富が増えていった。誰から見ても人生の成功者である大冒険家のリーダーは、しかし今現在、確かに心の中に大きな負の感情を抱いていた。
冒険者のススメ-0-
焚火の炎がゆらゆらと形を変えながら、周囲をオレンジ色に染め上げている。そのオレンジ色は、肌寒い夜の森を暖かな雰囲気に変えていた。淹れたてのお茶を片手に、小さなパンと残り物の干物を食べる。いつもと変わらない、気ままな旅の最後を締めくくるささやかな宴。酒も豪華な料理も
ないけれど、荷物いっぱいの宝物で心は十分に潤い、誰もが今回の旅での己の武勇伝を語りたがっていて、盛り下がる暇もない陽気な宴だった。
宴が始まる前から、もっと言えば旅の道中から、彼はずっと考えていた。仲間の話で笑いつつ、その裏でずっと言い出すタイミングを測っていた。せっかくの盛り上がりを壊してしまいたくなくて、けれど、この場で伝えておきたいことであったから、話の重さと反比例して、軽い調子でその話題は始まることになった。
「俺な、冒険家を引退することにしたから。」
明るい声色でさらりと告げられた言葉に、彼の口からどんな話が飛び出すかと、喜々として耳を傾けていた仲間たちの笑顔が固まった。今の言葉が聞き間違いではないかと、頭の中で反芻しているのだろう。6人の誰かが何かを言ってしまう前に全て言ってしまおうと、彼は言葉を続けた。
「なにせ、俺ももういい年したおっさんだからな。長旅しながら剣をふるうのも辛くなってきたみたいだ。…それにな、かみさんと娘ほったらかしたまんま何年も遊んでるわけにもいかない。娘には父親らしいことしてやりたいんだ。」
彼は己の声のトーンが下がっていくのと同時に、先ほどまで暖かみのあった空間の光度が下がっていくのを感じた。全員の顔を見ると、みな複雑な表情をしていた。少しだけ、間があった。
「そうか、いいんじゃないか?」
下がってしまった温かみを取り戻すように、明るい声でジョンが言う。先ほど一瞬だけ浮かんでいた表情は消え、代わりにニヤリとした意地悪げな笑みを浮かべている。
「娘さん、いくつだ?」
「もう7つになる。最近じゃあ、かみさんに教えられて弓で遊んでるらしい。」
「へえ、7つでか。リラに似て賢い子なんだろうな。自分の父親が放蕩野郎だって解ってんだろうなあ。…お前、ぜったい嫌われてるぞ。」
「…そんなことはない。お父さん大好きに決まってるだろう。」
「前回帰ったとき、娘に知らんぷりされたって理由でヤケ酒してたのはどいつだ?」
「そーだった!」
「ひひっ、まあ、せいぜいいい父親ぶってみるこった。」
にひひひっ、というジョンの笑い声につられて彼も、仲間も笑った。
「さて、それじゃあ俺も引退しようかね。」
彼をからかった口調そのままで言ったものだから、またしても間が起きた。はて、今のは冗談だろうか、という風に。
「年くって、戦闘で足元がおぼついてなかったのはお前だけじゃなかってこと。目も悪くなってきたせいか、トラップの解除も難儀してたんでね。」
「いい機会だから辞めるわ」と、再度意志を示した。口元はニヤリと弧を描いているのに、瞳は静かな色を湛えているせいか、その顔は寂しげに微笑んでいるように見えた。その顔を見て、彼は、ジョンもまた自分と同じようにずっと前から引退を考えていたのだと知った。
次に訪れた沈黙には、しばらくの間誰も口を開こうとはしなかった。そこにいる全員が「これから」について考えていた。すでに自分の意思を示し、残りの仲間たちの意思を尋ねるべき立場にいる彼とジョンは、静かに5人の思考がまとまるのを待っていた。
「私ね、雑貨屋をするのが夢だったの。」
膝に抱いていたファミリアの頭に顎を落ち着かせて、ドロシーがゆっくりと話し始めた。
「今までの旅で集めてきた薬草や花やお菓子を売るお店!在庫も十分できたし、体の関節が痛んじゃって野宿がツライ体になってきちゃったし、ちょうどいいかもね。」
「おや、四十肩と腰の痛みでは僕も負けないよ。」
「ふふ、こんなこと張り合うとこじゃないわよー。」
ドロシーに突かれて、スィラバンダは穏やかに微笑んだ。
「移動続きでは本も読めなかったし、魔術師は魔術師らしく、自分の研究所に引き籠ることにしようか。ちょうど実験してみたい呪文があるからね。」
明確に未来への目標を述べた二人に、激励の言葉が仲間からおくられた。人間たちが肉体の老化を理由に引退を決意した。パーティの残りの3人は、同じ理由で旅をやめる必要はないが、はたして彼らはどう考えるのだろうか。彼が"人外"であるマリアンヌに目を向けると、マリアンヌはまっすぐにジョンだけをみつめていた。ジョンもまた、傍らに座す少女の眼差しをまっすぐに受け止めていた。
「あなたが辞めるなら、わたしも一緒。」
「なぜだ。旅をつづけていいんだぞ。」
「遠距離恋愛って難しいものだとおもうの。」
「俺はできるが。」
「あら、わたしが嫌なのよ。愛する人のそばにいたい。」
「好きにしろ」とつぶやくように言って、ジョンは顔をそむけた。マリアンヌは満足げにほくそ笑んでいる。
彼がさきほどからかわれた意趣返しに、ほほえましいものを見る眼差しをジョンに向けると、ジョンは鼻で笑った。ジョンは仲間の注意を逸らすためにか、フェーンとムーンに話を振った。
「そうですね。仲間を集め直すのもたいへんそうですし、しばらくは冒険はお休みさせていただきます。」
「長らく旅をしすぎたよ、わたしもしばし休息したい。」
「なんだ、結局全員引退か。」
なかば予想していたことではあった。彼の妻が身籠ったことを理由に引退したときから、仲間たちの間ではそういう空気が流れ始めていたのだから。人間の老いは他人に隠せるものではなく、高まる一方であったはずの技のキレが落ちていくのを日々感じていた。人でない仲間にも、旅の終わりを予感させていたに違いない。いつでも、誰もが辞める日を考えていながらその日を今日と定めきれず、ただキッカケだけをずるずると待っていた。彼の引退というキッカケが、きたるべき結果を産んだにすぎない。
旅の終わりが訪れた。いよいよそれが現実のものになったと実感したとき、脳裏に旅の記憶がありありと浮かびあがってきた。苦痛にもがくような思いもしたはずなのに、今では苦難すら良い思い出であったかのように感じられる。浮かび上がる光景を口に出せば、そのころの情感を共に邂逅してくれる仲間はすぐそばにいたけれど、7人のうち誰1人として口を開く者はいなかった。
彼は自分の仲間たちの心が、押し寄せてくる暗い感情に飲み込まれていくのを感じていた。自己の思考の波に沈んでいる仲間たちの瞳は、焚き火や星空、影の踊る地面を、夜の湖面のようにぬるりと写しとっている。
爆ぜた薪が、パチリと音を立てて火の粉をふく。ふわりと炎の外側に飛び出た火の粉は気流にのって上昇したように見えたけれど、数瞬後には姿を消していて、ほんとうに火の粉があったのか、自分の記憶を疑ってしまう。ゆらゆらと一時ですら同じ姿を持たない炎の姿は、今まで見てきたどんなこの世の奇術よりも、ずっと不可思議なものに見えた。急に目の前の炎こそが、己が数十年の人生を賭けて探し求めていた秘宝なのではないかと、彼は何度目かの錯覚を覚えた。
RED STONEとは、なんだったのか。手がかりのひとつも手に入らなかった。
旅の中で、ずっと自分たちに明るい希望を持たせてきた赤の輝きは、同じ場所にあるからこそ、途方もなく遠い存在であったのだと知らしめ、今の自分たちに深い絶望を与えてくるのてくるのだ。
自分の生涯の大半を占めたであろう、この数十年の月日だけではその片鱗すら見ることも叶わなかった。どんな形で、色で、力を持っていたのか何も知らない。代わりに手に入れた富も仲間も、実力も、その全ては、目標を達成する道程で拾ったものに過ぎない。目標を完遂してこそ意味のあったそれらが、挫折によって意味のないものになっていく。
REDSTONEを追いかける者は、必ず大切なものを失う。
おとぎ話でよく聞いてきたその一節が、呪言のように聞こえてくる。
炎の輝きは、もう自分たちに暖かみを与えてはくれない。失意という冷たい風に吹き当てられて、みな顔色を無くして凍えている。未来へのささやかな展望も、旅を止める体のいい言い訳も、ロウソクの小さな灯りでしかない。
苦労して紡いできたものをブツリと切り取って捨ててしまうような乱暴な終わり方ではいけない。
捨て置くには、あまりにも時間をかけすぎた代物だ。切り口に接ぎ当てる新しい糸が必要なんだ。
彼はリーダーらしくパーティの未来を切り開くことにした。
***
「技術や知識なんぞ、自分一人で持っていては、いずれ老いと共に失われていく。無くなってしまっては、自分の人生に意味があったのか、俺は自信を持てなくなるよ。そうなるのがたまらなく恐ろしい。自分の培ってきたものを、誰かに、後世の冒険家たちに継承してもらいたいと、そう思ったんだ。」
リラは黙って夫の決意を聴いていた。夜の街を見下ろす彼の瞳には、真摯な輝きを宿している。その瞳を見ていると、彼の熱が燃え移ったかのように、胸の奥が熱くなった。
「武器の扱い方、地図の見方、緊急時の対処法。野宿のやり方、魔力の扱い方。
座学から実戦まで学べるように、教室と演習場を完備。講師はもちろん俺達がやる。そんな冒険家になるための学び舎を建てるんだ。…おまえは、俺のこの考えをどう思う?」
聞かなくても解るだろうに。リラの心はちょうど彼がそうしているように、学び舎が建ったあとのことをすでに思い描きはじめている。
リラが冒険をあきらめたのは彼よりもずっと前で、どうしようもならない負の感情には直視しないように蓋をしていた。いつかこの感情が風化するまで閉じ込めておくつもりだったのに、彼のおかげでその必要はなくなりそうだ。
「宿泊施設もあるといいんじゃないかしら。冒険家になる人なんて、たいてい家を捨てたも同然のような人たちじゃない。お金を稼ぐ当ても、屋根を確保する当てもない人たちが大半でしょう。」
「確かにそうだな。俺も冒険家になりたての頃は、野宿ばっかで生活の基盤整えるのに苦労していたよ。」
「掃除洗濯、朝夕晩の御飯つき。主婦歴8年のこの私が、大家さん務めてあげるわ。」
「いいねえ。ちと、過保護すぎる気がせんでもないが。」
「いいんじゃないかしら、過保護で。これから私たちの学び舎に訪れる人は、全員私たちの弟子よ。師が弟子を可愛がっていけない?」
「いや、可愛がりでけっこう。」
「帰りたくなっちゃうくらい、居心地のいい学び舎にしたいわ。」
「そうなると、もう学び舎っていうより”家”みたいだな。」
「ケイルン、私たち頑張りましょう。」
こうしてその学び舎は、大冒険家たちが自分たちの技術や知識を後世の冒険家たちに伝えるために建てられた。
そこには彼らの冒険の記録全てが展示されている。
一時は名を轟かせたかの冒険家たちはそこに在中し、家に訪れる若い後輩たちに自分たちの旅路のすべてを語らい、問われればその技術をおしげもなく指南する。
それが”冒険者の家”。
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2012/11/20
プロローグ風だけど、読まなくても後のお話にはまったく影響しない。蛇足。
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