巣篭り石畳の道路の色も、葡萄畑の落葉した木々の色も、全て雪の下に隠されてしまっている。 雪の上に立つ建物は、どれもこれも石灰で塗り固められた壁を持つものばかりで、元から白の目立っていた街の風景には、今や白以外の色彩はどこにも見当たらない。雪が日の光を受けてキラキラと輝き、街の白さをより際立たせる。神聖都市という呼び名の印象とも相まって、神の存在を感じさせる、幻想的な景色のように思えた。 よく知っていた街の、知らなかった美しい一面を見て、ほう、とアーチャーの口から何度目かの感嘆が白いもやとなってあらわれた。なんとなく厳かな気分になって、アーチャーの足取りは自然とゆっくりとしたものになっている。住所の書かれた手紙を手に、すごすごと歩を進める。やがてアーチャーは、一軒の家に辿り着いた。 周囲の建物と同じく、白い風景に溶け込む石灰の肌。2階の屋根と窓の合間には、葡萄を一房くわえた小鳥の姿が彫りこまれている。すんと澄ました面持ちの家なのに、どっしりと分厚い雪を屋根にのせられている姿が、家全体の輪郭を丸くさせているせいか、この家へ抱いた最初の感想は「かわいらしい」であった。 緩やかな傾斜の屋根から滑り落ちた雪が、軒先に小山をきづいている。玄関回りだけは小山に埋もれることなく、きれいに除雪がされているのを見て、先に着いているものが居ることを予感させた。わずかに雪の残る濡れた階段を登って触れたドアノブは、予想通り鍵がかかっていなかった。 中へ入ると、まずその埃っぽさに眉をしかめた。扉を開いたときに巻き上げられた埃が宙を舞い、アーチャーの鼻をむずむずとさせる。床一面に絨毯よろしく埃が敷き詰めているし、窓枠や部屋の隅には埃が山を作っている。埃、埃、埃、そして埃である。灯りが点けられていないのでよくは見えないが、床に紙屑らしきゴミ、空中に蜘蛛の巣の輪郭を確認した。家に入ったら置こうと思って背中から降ろしておいたカバンを、もう一度担ぎなおす。鍵は開いていたのだから、奥に誰かはいるはずである。一瞬迷った後、アーチャーは埃を吸い込まないようマフラーを口元に当ててから大きく息を吸った。 「おーい、誰かいないのー?」 すると、奥の方から男の声が返ってきた。 「はーい、いますよー。すみませんが、裏口から入っていただけませんかー?表から裏に回っていただければ、すぐにわかると思いますのでー。」 言われた通り、アーチャーは裏に回ることにした。よくよく見てみると、通りから家の裏の方へ向かって何人かの足跡が残っていた。雪に足をとられないよう気を付けながら、足跡をたどる。正面から見ていたよりもこの家はずっと大きいようで、裏口に辿り着くまで30歩ほど歩いた。裏口のある部屋だけは窓のよろい戸が開けられており、中から人の気配がする。簡単に衣服に着いた汚れを払い落として、戸を開けた。 先ほどとは打って変わって、埃っぽさは微塵も感じなかった。代わりに、イイ匂いのする暖かな空気が身を包んだ。戸のすぐそば、薪焜炉の前にビショップが立っていた。彼はアーチャーの姿を目にすると、ほほ笑みを浮かべた。 「ビショップさん、久しぶりね!」 「おや、アーチャーさんでしたか。長旅お疲れ様です。」 壁際に、この部屋を掃除するときに使われたのだろうバケツや雑巾が置かれている。その横に荷物を下ろして、ようやくアーチャーは一息つけた。気が抜けた途端に、体のあちこちから疲労が溢れ出てきた気がして、立っているのが億劫になり、手近にあったテーブルに腰かけた。特に歩き続けていたため酷使されていた足の筋肉が痛みを訴えてくるので、両手で筋肉をほぐすように揉んでみる。そうしているとテーブルにコトンとカップが置かれた。 「お寒かったでしょう、さあ、お茶をどうぞ。」 「ありがとう」と礼を言って、カップを両手で包み込む。分厚い木製ごしに冷えた指先へじんわりとした温かさが広がっていく。一口すすると、茶葉の香りの中にピリリとした辛さがした。ジンジャーティーだ。生姜の効能ですぐに体温が上昇し、内側からポカポカと温まっていく。ビショップはこういうことに気の付く優しい男なのだ。相変わらずなその優しさに、アーチャーはほくそ笑んだ。 「他にもだれかいるの?」 「ええ。ウィザードさんとテイマーさんがいらっしゃいますよ。私がついたころには台所の掃除をお二人がされてまして、掃除が終わるなり今度は生活品を買いに行くといって二人でお出かけになられました。」 「テイマーはりきってるわねー。」 「ええ、本当に。」 クスクスと笑い終えると、ビショップは再び焜炉に向き直った。火にかけられた大きな鍋の中身をかき回している。部屋の中に入ったときにしたイイ匂いの正体は、どうやら鍋の中身のようだ。腹の虫をつっついてくる匂いに誘われるように、アーチャーはビショップの隣に並んで鍋の中身を覗き込んだ。ほくほくと柔らかそうなじゃがいも、鮮やかなオレンジ色をしたにんじん、艶やかに透き通ったタマネギ、そしてたっぷりの薄切りの肉がぶくぶくと黄金色のスープの中で煮立っている。 「わあ、おいしそうね。新鮮な野菜やお肉なんて何か月ぶりかしら!野菜スープ?」 「いいえ、ただの野菜スープじゃないですよ。」 ふふ、と意味ありげに微笑みながら、ビショップは戸棚からブリキ缶を取り出した。蓋をあけて、ゆっくりと傾けると、鍋の中に白い液体がたっぷりと入っていった。 「あらまあ、牛乳じゃない。これも何か月ぶりかしら!」 「というわけで、今日の晩御飯は新鮮な野菜と牛乳たっぷりのシチュー。それと、」 「鶏肉の丸焼きです」と言いながら、彼はオーブンを指さした。ごくりと、アーチャーの喉が鳴る。 「ほんと、初日から豪華な夕食ねー!」 旅での食事は、街に立ち寄った時以外、調理の手間の無い携帯食が基本。ごくたまに倒したモンスターの肉や野草を調理することもあったけれど、肉は獣くさいし野草は味気なかった。新鮮な野菜も肉も、ましてや牛乳なんてものとはほとんど無縁な食生活だった。これからこんな夢のような食事が毎日食べれるのかと思うと、感動にも似た感情が湧きあがってきて、思わずアーチャーは涙ぐんだ。 「さて、みなさんがつく前に調理を終わらせないと。」 生の鶏肉が2羽、調理台の上に載せられた。薄桃色の瑞々しい肉だった。 アーチャーはそれを見て、自分も何かしなければという使命感にかられた。旅の疲れ何てもうとっくに吹き飛んでいる。そうして彼女は壁際に置かれていた雑巾とバケツを手に取った。バケツにはちょうどよくきれいな水がたっぷりと入っていたので、そのまま隣の部屋へと向かう。 「働かざる者、食うべからずね。それじゃあ、他の部屋の掃除してくるわ。」 隣の部屋は、玄関と同じくらい汚れていた。手始めにすべての窓を開け放ち、空気を入れ替える。ぞうきんをバケツの中に放り込んで手を入れると、水はキンキンに冷えていた。 この広い屋敷が私たちの住み家。美味しいご飯と仲間のいる場所。毎日何してすごそうかな。 アーチャーは、これから始まる長い休暇が楽しいものになるのを予感した。 アーチャーがビショップを手伝わなかったのは、料理ができないから。 遭難 -1-ハンヒ山脈の最高峰タトバ山。冬が間近に迫ったある日、その年最後の狩りに訪れていた狩人たちは、猛吹雪に襲われた。初雪の時期には遥かに早い、秋晴れの日に起きた、あきらかな異常気象。吹き付ける雪の向こうに、赤く輝く宝石を彼らは見た。 *** パリパリと、グラスにヒビが入っていくような音がする。夜の間に凍った雪が、朝日に暖められて溶けている音だ。 裸の枝の上に寝そべっていた雪は、留まり続ける固さを失って、ぼとりぼとりと枝の間から落ちていく。 シーフは、凍った雪の表面がキラキラとまぶしく輝く様に目をしばたたせながら、そんな雪の音に耳を傾けていた。 やがて雪の音の合間に、別の音が聞こえてきた。どうやら翼を羽ばたたせているらしいそれは、徐々にこちらへ向かってくるようだ。 気配からしてあまり大きな体はしていないし、攻撃をしかけてくるモンスターの気配でもなさそうだ。 ぼとりと雪を落とした木の上空から現れるなり、それは一声鳴いた。 くるっぽー。 シーフは武器から手を離して、人差し指を空に向ける。くるっぽー、ともう一度鳴いて、鳩はシーフの指に舞い降りた。 指に重さを感じた瞬間、鳩の姿はぐにゃりと粘土細工を潰したように変化して、シーフの手の中には一通の封筒だけが残った。 「おはよーさーん。」 シーフが手紙に目を通していると、テントから剣士が顔を出した。外へ出てくるなり彼は、「さむっ」と身を震わせて両肩をさすっている。 「茶!茶をわかそーぜ!」 そういって彼は焚火の傍に寄ってきたが、まず焚火の火種が湯を沸かせそうにないほど小さくなっているのを見つけて悲鳴を上げ、次に外に放っておいたままだった薬缶の中で氷が張ってしまっているのを見て、がっくりと項垂れた。 「お茶よりもっといいもんあるぞ。」 「げー!」だの「あちゃー…」だの、ひとり騒々しい剣士に向かって、シーフはベルトから取り出したガラスの瓶を左右に振って見せる。半透明の茶色の小瓶の中で、ちゃぷちゃぷと液体が波打った。剣士の目が期待に輝く。シーフは剣士にその小瓶を投げてよこした。 「40度の酒だ、飲みすぎんなよ?」 「さっすがー!シーフ最高っ!…あー、ぽかぽかする。」 飲んだ傍からカッと胃の内が熱くなる。頬を上気させて、上機嫌に剣士はもう一口小瓶を傾けた。シーフももう一本同じ酒をベルトから抜いて飲む。お互い身体が温まったところで携帯食料で朝食をとり始めながら、シーフは「そういえば」と、さっきの封筒を剣士に見せた。 「さっきプリンセスの伝書鳩が届いたぞ。」 「へー、なんて?」 「『まだ来ないの?2週間も待たせるなんてヒドイ!こんな寒い中を冒険なんて、この物好きの大馬鹿者!』だとさ。」 「ははっ、オヒメサマはかんかんみたいだな。確かに、こんな時期によりにもよってタトバ山なんて、物好きには違いないだろうけどさ。だけどさ、『タトバ山にREDSTONEかもしれない不思議な輝きの宝石をもったモンスターがいた』なんて噂を聞いちまったら、大馬鹿者と言われようが、冒険家として調査しに行かないわけないよな!いくら豪雪でも、凍死しそうでも!」 「俺はいちよう春になるまで待とうって、お前を止めたから。”大馬鹿者”には含まれないぞ。」 「そうかそうか。たしか、情報通の誰かさんは一人で行く気だったみたいだけどなあ。」 「…誰の事だか。」 「さーて、誰だろうな?」 にひひ、と剣士が歯を見せて笑い、つられてシーフもフフンと鼻を鳴らした。 話を切り上げるように、シーフは立ち上がった。 「ほら、さっさと準備して行くぞ。」 さっと足で焚火に雪を被せて火を消し、ぱっぱとテントの撤収に取り掛かる。剣士もすぐに食べ物を口に放り込んで、食べかすのついた手をはたいてシーフに続く。 「テントよーし、火元よーし、荷物よーし、装備よーし。さてと、あとは…。」 「ほれ。おれのはちゃんとあるぞ、お前は?」 「ん、よし。おれのもある。」 最後にお互いのベルトに、近くの街へ転移できる「帰還の魔石」が装備されているか確認しあった。雪山では何が起こるかは予想がつかない。これ以上の長居は危険だと判断したときは、個々の判断ですぐに街へ戻るというのが、今回の旅での決め事だった。 準備を終えて二人は山頂を目指して歩み出す。凍りついた雪は、踏まれるとザクザクと小気味よい音を立てた。 フラグが立ちました。タイトルネタバレですね!続きます。 遭難 -2-冬のタトバ山での脅威は、モンスターではない。昆虫類の群れは暖かい時期にしか出現せず、トレントは冬の木々と同じように活動を停止している。エルフ戦士はエルフの集落に近づかなければ手を出してくるやからではない。ムンやベアーは雪が積もり始める頃には冬眠している。狩るものがいないので狩人もいない。だからこの時節に遭遇するモンスターは、ダイアーウルフだけだが、ダイアーウルフも寒さの中動き回るより巣の中に篭りがちなようで、めったに姿を現すことは無かった。本当に戦う相手は、この寒さと雪だ。寒さはちょっと油断してしまうと、あっという間に体温を奪っていく。暖をとりながら慎重に進んでいかなければ、いつ指先一本動かせなくなってしまってもおかしくはない。積もったばかりの雪は、入ってしまえば胸まですっぽりと飲み込まれて身動きが取れなくなるし、雪崩も起きやすい。だから、二人は雪が降り始めたらすぐにテントを張り、雪質が落ち着くまで気長に待った。吹雪に遭って2日間テントに篭ったこともあった。 青空が眩しいこの日、2週間と1日掛けてようやく二人はタトバ山の山頂を仰ぎ見ることができた。木々の生えていない山頂は、すっぽりと雪に覆われている。 「剣士。」と、剣士を呼びながらシーフは後方の西稜線を指さした。 「こっちに向かってくる気配がある。」 「おおっ、ついにお出ましか?」 「いや、これは…ダイアーウルフの群れみたいだ。」 稜線を乗り越えて、11の黒い点が姿を現した。雪を踏み荒らしながら、まっすぐにこちらへ向かって走ってくる。視界を遮るものは無いので、こちらからあちらが丸見えなように、あちらからもこっちは丸見えなようだ。うんざりしたように、剣士がおおげさに溜息をついた。 「およびじゃないっての!」 剣士は剣を抜いた。シーフはしゃがみこんで地面にいくつかの紋様を描き終わると、剣士の後ろでダガーを構えた。間もなくして、急な斜面を悠々と跳び越えて、ダイアーウルフが二人の前に躍り出た。剣士は鋭く息を吐いて剣を構え、シーフは黙って六感を研ぎ澄ませた。一歩前に出ている剣士に向かって、最初の3匹が迫ってくる。 キャーンッ! 3匹は、剣士の数歩手前で地面から突如現れたトラバサミに足を挟まれて倒れこんだ。倒れた先頭の頭上を一匹が飛び越え、剣士に襲い掛かったが、盾で阻まれ、地面に着地する前に胴を真っ二つに切り捨てられた。トラップを迂回して左右から飛び出してきた2匹には、ダガーが投擲され、一匹は倒れ、もう一匹は傷を負って後方へ退いた。二人を囲い込もうとする後続の狼に向けてシーフが投擲してけん制し、その間に剣士が身動きの取れない先頭の3匹の首を落とした。残り6匹。突撃をやめて、シーフの射程距離外からダイアーウルフたちは唸り声をあげてこちらの様子をうかがっている。シーフは剣士の隣に並んだ。 「一番後ろにいるやつが、あの群れのリーダーだ。」 「了解。おれがそいつを引きづり出すから、あとのやつらはシーフに任せる。」 「わかった。」 群れで行動するウルフたちは、リーダーを失えば撤退する。剣士は剣先をリーダーに向けて突き出し、まっすぐに目を合わせた。剣士の青い瞳がギラギラと輝く。 「ダイアーウルフのリーダーよ、おれと戦ええ!」 リーダーはその瞬間、ビクンと体を震わせた。冷静に群れの一番後ろで腰をおろしていたそいつが、今や目に闘志を宿らせて、好戦的な様子で身をかがめて唸りながら前へ出てきた。剣士が剣を構えると、リーダーはまっすぐに剣士に向かって突進してきた。剣士が水平に剣をふるうと、さっとリーダーは身をひるがえし、振り切ってがら空きになった剣士の右肩に飛びかかる。剣士は振り切る回転をそのままにもう一回転して剣を振るった。ダンスのように足を器用に踏みかえて、2回転3回転と威力を増した斬撃を行う。リーダーは冷静に後方へ飛び退き、剣士の攻撃を回避した。 リーダーの突出に、他のウルフたちは戸惑っていたが、剣士の隙を見て襲い掛かろうとする。その5匹に向けてダガーが飛んだ。ダガーを避けようと5匹が後ずさる。シーフは剣士たちから引き離させようと、さらに何度も投擲を重ねた。一匹に一投ずつしか攻撃が出来ないので気は抜けない。けれど、そのときシーフは何か嫌な気配を感じとって別の方に気が向いてしまった。斜面の上からウルフたちを見下ろすようにダガーを投げつけていたシーフは、ウルフたちのはるか後方に分厚い雪雲があるのに気付いた。よく見れば、雲の下の風景は白くかすんでいて、雪が降っているようだ。斜面の下の方から、冷気がこっちにむかって吹き付けている。あの雲がこっちへ来る。 「剣士!もうすぐこっちへ雪雲が来るぞ、早く終わらせろ!」 「そんな簡単に言うなって!」 まだ剣士はリーダーに致命傷を負えさせていない。剣士が手こずっているならば、自分が早く終わらせよう。シーフは投擲の手はそのままに、荷物からクローを取り出して両手に装備した。多少の怪我は目をつむるぞ。斜面を蹴って、群れの中へ一気に飛び込んだ。 「はあっ!」 気合を入れながら、5匹に向かって回し蹴る。怪我をしていた一匹が逃げ遅れて蹴りを食らったので、間髪入れずに3連回し蹴りを胴に叩き込む。蹴り終わったとき、後ろからドンと衝撃をくらい、続けざまに肩に激痛が走った。歯を食いしばって声を殺し、肩にへばりついているウルフの顔に肘鉄をぶつけて引き離し、さらに喉に急所突きを行って倒す。残り3匹。 もう一度回し蹴りを行って、間合いをつくり、気合を入れて分身した。ウルフたちは突然獲物の姿が5人に増えて狼狽したが、すぐにそれぞれの一番近くにいた標的に向かって噛みつく。そのうち一匹がシーフ本人に攻撃してきたので、素早く回避し、避けざまに拳の連打を打ち込んだ。仲間がやられて本物に気づいたもう一匹が襲ってきたのを回避し、噛みつき損ねてつんのめったウルフの首を背後から抑えこんで、急所めがけてクローを突き刺した。あと1匹。分身は全員倒れた。シーフが距離を開けるように走り出す。最後の一匹もすぐにシーフを追いかけた。けれど追いつく前に、ウルフは全身に6本ものダガーの投擲を受けて倒れた。 斜面の上を見上げると、剣士がまだダイアーウルフのリーダーと戦っていた。早く加勢してやらないと。駈け出そうとしたちょうどそのとき、背後から冷風が吹きぬけていった。背中を押し上げられるほどに強い。その風の中に粉雪が混じっているのを見た。ハッとしてシーフが背後を振り返ると、大粒の雪が目に入りそうになって思わず腕で顔をかばった。冷たい雪が強風と共に降り注ぐ。ついさっきまで青空が広がっていたそこに、はるか後方にあったはずの雪雲がいる。ようやくシーフが異常に気付いたとき、雪のカーテンの向こうから襲い掛かってきた強風に彼の体は宙に打ち上げられた。 スキルのバーゲンセール!文字にできて楽しい戦闘シーン。つづきます。 遭難 -3-「もうすぐこっちへ雪雲が来るぞ、早く終わらせろ!」 いやいやいや。 「そんな簡単に言うなって!」 こいつ結構手ごわいんだよ! 思いのほか長引いている戦闘に、剣士は焦った。 このリーダー、なかなか冷静なようで、剣士の攻撃を見極めて決して深追いして間合いに飛び込んでくることはない。押せば引かれ、こちらが引けばすぐに押してくる。 それなら少し隙を見せてやろう。剣士は盾の持ち手から手を離し、盾の外ぶちを引っ掴んだ。ウルフの顔めがけて盾を放り投げる。回転が掛ってまっすぐに飛んできた盾を、ウルフはさっと横に躱した。盾を失い、守りの薄くなった獲物。今が好機とばかりにウルフが特攻をしかけてきた。そのウルフの後ろで、盾が軌道を変えて空中で弧を描く。ブーメランのように戻ってきた盾は、剣士との軌道上に居るウルフの背中にヒットした。盾を拾っている暇はない。体勢を崩したウルフに速攻で攻撃を仕掛ける。右上から左下へ、左上から右下へ、十字の傷を受けてウルフがよたよたと後ずさった。次の攻撃は避けられまい、とどめだ。 剣士が首元めがけて剣を振り下ろそうとした瞬間、目も開けられないほどの強風が吹きつけた。べちゃべちゃと大粒の雪が体に当たる。 近くで何か重いものが地面にぶつかった音がした。風が落ち着いて目を開けると、晴れから大雪へ天候が一変していた。絶え間なく、空から雪が降り注いでいる。突然のことに状況を理解しようと、さらに周囲を見回していると、地面に伏した人を見つけた。 「シーフ?!」 剣士の呼びかけに、シーフはピクリとも動かない。ぐったりと地面に倒れ伏した彼の肩からは大量の血が流れている。だんだんと強まっていく風と雪に視界が閉ざされていく。 シーフの姿もあっという間に見えなくなってしまいそうで、剣士はシーフの元に駆け寄ろうとした。剣士は完全に油断していた。気づいたときには、もう動けまいと思っていたウルフの鋭い爪が剣士の鎧を容易く切り裂き、胸の肉を深くえぐられていた。そのままウルフに圧し掛かられて、後ろへ倒れた剣士の足元の雪が崩れた。剣士とダイアーウルフは急な斜面を転げ落ちていった。 *** 真っ白だ。気が付くとシーフは雪の中に埋もれかかっていた。自分の足や腕がまるで無くなってしまったかのように、感覚が無い。ただ痛みだけは体中あちこちから伝わってきた。噛みつかれた肩の傷や、地面に打ち付けられて痛めた箇所、雪に直接触れている頬が痛みと共に熱を発している。雪に凍えさせられ、痛みに焼かれる。これは、マズイ。 指よ、動け。感覚はまったくないのに動く手は、まるで自分の手ではないようだ。目視で位置を確認し、腰のベルトに装備されている帰還の魔石に触れた。帰還の魔石が淡く輝き、ぼんやりと転送先のスマグの街の情景が浮かび上がる。すぐにでも魔石は発動できる。 たしかに自分は剣士のいる方へ吹っ飛んだはずだ。周囲に剣士が居ないということは、アイツは一足先に街へ戻ったのかもしれない。ふと、帰還の魔石をいつでも使えるように装備しておこうと提案してきたときのことを思い出す。 「おれってさ、ビビりだから。雪山とかほんと怖いし、ちょっとでも危なくなったらさっさと帰るから。だから、お前も危なくなったらすぐ帰ってくれよ、シーフ。」 その話をしたとき、こいつ絶対に先に帰る気ないだろうって思ったんだった。 帰還の魔石は街へ行くことはできるけれど、転送前の場所へもう一度戻ってくることはできない。後戻りできない一方通行の転移装置だ。もしも剣士がまだ戻っていなかったら?まだこの山のどこかで戦っていたら?助けに戻れなくなる。 なんとか首を回して周囲を伺ってみると、剣士の盾が地面に落ちているのが見えた。よく盾をぶん投げる奴だから、盾を無くすことなんてよくあることで、もしかしたらあの盾も単に落としていったものかもしれないけれど。シーフには雪を被ったその盾が、この山にまだ剣士が居ることを暗示しているように思えた。 思考がどんどん霞がかってきた。少し時間をかけすぎたようだ。気力を振り絞って指先を持ち上げて、帰還の魔石の隣に装備してある瓶をとろうとする。何度も留め金の上で指を滑らせた末に、ようやく瓶をとれた。 蓋がなかなか開かない気がして、固く締めた数時間前の自分を恨んだ。薄茶色の小瓶から流し込んだ液体は、一気にシーフの身体を温め、淀みかけた意識を少し回復させる。シーフはすぐに第六感を集中させた。自分の周囲の生き物を探知する。山の下の方、少しばかり離れた場所によく知る気配を感じ取った。ほらやっぱりあのバカ帰ってないじゃないか。 酒の力でわずかに感覚を取り戻した指でカバンをまさぐり、カバンの中に一本しかない橙色に輝くポーションを取り出した。指先で蓋を弾き飛ばし、半量だけ飲み干した。傷は完治しなかったが、意識が覚醒するには十分だ。 「このポーション高いってのに。後で契約違反の罰金で代金徴収してやる。」 吹雪の中、シーフは剣士の気配に向かって駆け出した。 1話で完結する予定だったのに…。なんで長くなったのか。つづきます。 2012/00/00 、 、 、 |