ロウソクの灯りで懐中時計を確認する。時刻は午後11時3分ごろ。月入りからたっぷり4時間が経過していた。
少年は時刻を羊皮紙の一番上に書き記すと、ロウソクの灯りをふぅと消した。
ふわりと灰色の煙とともに焦げた匂いが立ち上って、少年は鼻をスンと鳴らした。
ベランダの鍵を開けて、音が立たないように気を付けながらそっと扉を開く。
満天の星空が少年を迎えた。月の無い空は濃い黒色をしている。
そこに白色の光の粒子が散りばめられていた。
周囲の黒に飲み込まれまいと、目を奪われるほど力強く輝く星の群れ。その奥にも、か細い光を明滅させた小さな星が無数に存在している。
星空の下には城下町があった。星の輝きとは違う街灯の赤い光が、道路を沿うようにまっすぐと街の外れまで続いている。
街の向こうに見えたはずのネイダック平原地帯の地平線は空にすっぽりと飲み込まれてしまっていて、どこまでが空なのか地上なのかわからない。
世界は黒色に染まっていて、空にも足元にも星が輝いていた。
空は球体の形をしていて、自分がそれの中心に浮かんでいるような、不思議な感覚がした。
そのとき、スッと空を一直線に横切るものに気づいて少年は我に返った。あ、と声を上げている間に、それは姿を消していた。
今のはもしや、と同じ方向を見つめていると、今度は少年の視界内ではっきりと星が落ちていくのを見た。
静かに出現したそれは、白い尾を引きながら空の見えない天井をなぞるようにわずかに弧を描いて滑り落ちていく。
少年の子供特有のふっくらと丸みをおびた頬に赤い喜びの色がさし、目がらんらんと輝いた。
「……流れ星だ!」
ベランダの床に毛布を敷き、もう一枚の毛布は頭からすっぽり被って10月下旬の寒さから身を守る。
マッチを擦って小さなランタンに火をつけた。ランタンのガラス部分は分厚い曇りガラスになっていて、観測の邪魔にならない程度に光度が落ち着くようになっていた。
ランタンに顔を引っ付けるようにして、羊皮紙に”観測記録”をつけていく。
―――観測開始から5分。流星群のものと思われる流れ星を2つ確認。月が無いだけでこんなに空が真っ暗になるだなんて驚いた。
星の数もいつも見るより多い気がする。雲ひとつも無く、観測日和と言えるだろう。ただ、少しだけ肌寒い。
方位磁石を頼りに、目当ての星座を探す。その星座は少年の予想していた通り、さきほど流れ星を観測した南東の空にあった。
恒星をいくつも持っているその星座は、すぐに見つけることができた。
サークレットを額に載せ、杖を掲げた女性の姿。
星座表で覚えた輪郭が、星の群れの中でそこだけくっきりと浮かび上がっているように見える。
彼女の傍らを、流れ星が一筋流れていった。少年はその方向をキラキラした瞳で食い入るように見つめていた。
***
首が痛くなってきたころ、ようやく少年は懐中時計を取り出した。時計の針はとっくに12時を過ぎている。
流れ星の数を計測するために毛布の中から出していた指先は、少しかじかんでしまっていた。少年はほーっと指先に息を吹きかけてから、”観測記録”のまとめに入ることにした。
―――観測開始から1時間弱。ロズウェルの巡回までにはまだ時間があるが、寒いのでそろそろ退散しようと思う。観測できた星の数は20個ほど。
星座は南東から天球を上昇し、南中に近づきつつある。明日はもう少し厚着して1時まで観測したいと思う。第一日目観測終了。
筆記具、方位磁石、天文学の文献、火を消したランタン、荷物はまとめて毛布の中へと包む。
早く暖かい布団に包まれたいという欲求に急かされて、少年はいそいそと下を向いて作業していたので、その変化に気づいたのは自分の足元に影が出来てからだった。
何かに上方から照らされている。はっとして空を見上げた少年は、けれどすぐには状況を理解できなかった。
青白い輝きを放つ光がまっすぐに少年の方へと落ちてきていた。先ほどまで真っ暗だったベランダが真っ白に照らされていく。
わけがわからないまま少年は光に包まれ、目に映るのは白一色になった。
周囲の物の輪郭をもかき消してしまうほど強烈な光は、固く閉じた瞼裏をも白く塗りつぶしていった。
白い光の中で、少年は上方からこの光の正体がゆっくりと降りてくるのを感じて、無意識に両手を差し出していた。
重ねた両手の真ん中に、暖かいものがふれた。暖かみはあるのに、全く重量を感じない。
風のような空気の震えが巻き起こって、徐々に光が手の中へと収縮していくのがわかる。
無理やりこじ開けた少年の目に一瞬だけうつすことができたのは、白い世界の中でキラキラと輝く青紫の美しい色だけだった。
気づくと少年は、真っ暗なベランダで両手を胸の前で重ねて立っていた。あたりは天体観測をしていたときと同じ、深夜の静寂に包まれている。
手の中には何も無い。
「夢…?」
今更ながらに恐怖心が湧いてきて、少年はしりもちをついた。見上げた星空にも、何も変化はない。
ただひとつ流れ星が流れていった。
なんとなくここに居てはいけない気がして、少年はすぐに自室へと戻ることにした。
毛布にまとめた荷物を抱えてベランダを後にした。
ベランダの鍵を閉めたちょうどその時、廊下からバタバタという足音と人の声が聞こえてきた。
「こちらです!一番奥の部屋のベランダに間違いありません!」
少年はドキリとした。一番奥の部屋とは少年が今いるこの部屋で間違いない。
足音といっしょに聞こえてくる金属のすれ合う音から、この声の持ち主たちはこの城の兵士たちだろう。
彼らがこちらに着く前に隠れなければ!
少年は廊下に出る扉とは別のもうひとつの扉へと向かい、持っていた鍵で扉を開けた。
廊下にいる兵士たちに気づかれないように扉を閉めて、施錠の音がもれないようにゆっくりと鍵を掛け、扉に耳をくっつけて息を殺す。
間もなくして、兵士たちが廊下側から鍵を開けて部屋へと入ってきた。足音からしてどうやら二人のようだ。
ベランダの鍵を開ける音も聞こえてくる。
「……ベランダに異常は見られませんでした。」
「おまえ、やはり寝ぼけていたんだろう。ベランダにだなんて、そんなわけないだろう。」
…やはり、自室を抜け出してベランダに居たことがばれてしまったのだろうか?どうか勘違いですましてくれ!少年の小さな胸が不安で鼓動を早くさせる。
「いえ、しかと俺はこの目で見たんです!あれは間違いなく流れ星でした!流れ星が城に直撃したんです!」
え、流れ星だって?
「こちらの部屋も調べましょう。ベランダではなく隣の部屋へ落ちたのかもしれない!」
兵士の足音が少年のいる部屋の扉へと近づいてきた。扉一枚隔てた向こうに兵士がいる。
兵士の言葉に呆気にとられていた少年は、再び身を固くした。
「こちらの部屋の鍵はどこですか。」
「待て、よく聞け。第一に今ベランダから見たがどこにも破壊された箇所は無い。よって、調べる必要はない。
第二にそこの部屋は陛下のプライベートな空間のため、部屋の鍵は王族しか持てない。
しかるに、その部屋を開けることはそもそもできない。
寝言もいい加減にしろ。もしや新種のモンスターでも現れたかとも思ったが、この部屋の様子ではそれもなさそうだ。
持ち場に戻るぞ。」
しばらくして二人の兵士は部屋を出ていった。ほっと安堵の溜息をつきつつ、少年は先ほどの兵士の言葉を思い出していた。
この部屋のベランダに流れ星が落ちてきたって?じゃあ、さっきの出来事は夢ではなかったのか。
自室に辿りついてからも、少年は落ちてきた流れ星の事が頭から離れなかった。
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2012/11/21 ファーストコンタクト
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