教育係がちらりと時計を確認したのを見て、少年の心臓が不安に跳ねた。今にも教育係は教科書を閉じてしまいそうだ。何か言葉をかけて時間を稼がなければ。
真っ先に頭をよぎったのは、昨日の天体観測についてだった。
「ロズウェル、流れ星の正体ってなんだっけ?たしか彗星が関係していたと思ったけど。」
「流れ星の正体は宇宙に散らばるチリがこの星の大気に突入して燃え尽きたものですよ。太陽の周囲を定期的に周っている彗星が残したチリの中をこの星が通った場合、多くのチリがこの星に入ってくるので多くの流星を観測できます。彗星はいつも同じ軌道を通るので、毎年同じ時期に同じ方向に流星を観測できます。これを流星群と言います。」
「○○座流星群、っていつも星座の名前が流星群にはついていたから、流星群の名前になった星座から飛んできているのかと思ってたけどそうじゃないんだね。」
「ええ、そうです。流れ星の飛び出すときの中心である放射点にもっとも近い星座が流星群の名前になってるというだけです。」
「流星群、直接この目で見てみたいな。」
まあ、もう見てるんだけどね。
「流星が観測できるのは月が沈んだ後ですからね。あと数年は待ちましょうね。最近、天文学に興味がおありなようですね。」
「まあね。ねえ、ロズウェル!もっと星について教えてよ。ロズウェルがくれた天文学者の流星群に関する文献を読んだよ。
読んだけど、まだまだ僕の基礎知識が足りないみたいで理解できなかった所がたくさんあるんだ。」
件の文献を机の上に広げて見せた。あらかじめ、話を長くさせるために教科書と一緒に彼が持ち込んだものだ。
「このページの、ほら<公転>についてとか。公転って何だい?この公転があるせいでチリが平行にこの星へ入ってくるから、放射点から
星が流れてくるように見えると書いてあるよ。」
少年はロズウェルに興味を持ってもらおうと精一杯話を振ったけれど、ロズウェルは困ったように微笑むだけだった。
「そのお話はまた今度の授業の時にしましょう。」
パタンとロズウェルの手元にあった本が閉じられた。ロズウェルの目が再び時計へと向けられる。彼が言わんとすることを少年はよく理解していたけれど、それを言わせたくなくて、少年はさらに彼へ話を振った。
「授業の科目に天文学なんて無いだろう。」
「ええ、まだありませんよ。私としても、せっかく興味を持っていただけた分野があるならば、その学習のお手伝いをさせていただきたいと思います。…けれど、今日はもう時間がわるい。」
「だけど…。」
「王子。」
ロズウェルが眉をしかめている。
「お庭に向かいましょう。みなさんお待ちですよ。」
ああ、もう。今日もうまく逃げられなかった。
* * *
廊下の奥からも聞こえていた人々の話し声が、彼があらわれた途端、静かになった。
庭にいる数十人の意識と目が彼一人に注がれる。急に胃の内が重苦しくなって、吐き気がしてきた。
ロズウェルが背後から彼の肩を優しく叩く。がんばって、と教育係の声が聞こえた気がした。
息を一つ吐いて、庭に降りる階段へ足を踏み出した。一段降りていくたびに、息が苦しくなる。底の無い泥沼へ自ら身を落としていくようだ。けれど決して不安を顔に出してはいけない。庭が蠢きだす。こそこそとあちこちで内緒話が聞こえる。ベンチやテーブルに腰かけていた人がいつのまにか立ち上がっている。木陰で立ち話していた集団がいつのまにか階段の近くに移動している。彼が庭に降り立つと、庭に居た全員がドレスの裾をつまんでおじぎした。
さあ、ここからが大変なのだ。先ず、階段下へ待ち構えていた集団に囲まれた。ごきげんよう、今日はいいお天気ですね、なんて当たり障りのない話題を振られる。それをきっかけに、庭には彼が現れる前と同じように、人々の話し声で満たされる。けれどさっきとは違って、人々の意識は常に彼へと向いている。話に割り込んでくるような、お行儀の悪いことはしない。代わりに話が終わり次第いつでも彼を攫えるように、おしゃべりに興じるフリをしながら、ずっと聞き耳を立てている。○○学の話をしませんか、○○についてどう思いますか、こちらに来てテーブルゲームをしませんか、一緒にお茶をしませんか。理由も無く女子からの誘いを断るのは失礼にあたるので、彼は誘われるがまま受けるしかない。
彼女たちがにこやかに微笑みを浮かべる裏で、必死であることを彼は知っている。
庭を囲む建物の窓から、彼女らの親やその使いが彼女たちを観察している。
自分との間に特別な関係を持つという使命を彼女たちは課せられているのだ。
彼女たちと仲良くなることは、もちろん彼自身の責務でもあるけれど。
思惑が透けて見える付き合いからは友情など育てることはできなくて、
温度の無い言葉を交わしながら、ただただ時間が早く過ぎるのを待った。
* * *
ぐったりと小さな体がソファーに埋もれている。幼い顔に疲労が溜まっているのを見て、ロズウェルはこっそりと眉をしかめた。
自分の主の祖父…つまりは現国王への反発心がむくむくと頭をもたげていた。王の命によりひと月ほど前からはじめられた異例の”茶会”。
いい年齢になっているのならば、茶会や夜会を開いて異性と知り合うきっかけを作るのは普通のことであるが、如何せん、王子は今年10歳になったばかりである。
結婚相手を探せと言うには、あまりにも早急すぎる。
王子も始めの頃こそ「人脈作りだ」とはりきっていた。けれど、賢い人であるから、すぐに茶会の真意に気づいてしまった。
茶会に送り込まれてくるのは、王子に比較的年齢の近い女子ばかりである。いくら淑女といえど、10の子供に器用さを求めてはいけない。
次第に王子は彼女たちの強引さに疲れさせられていった。仲が深まるどころか、王子は女子に苦手意識を持つようになってしまったようである。
誰が見たって無理な事なのに、誰も国王に止めるよう進言しない。臣下たちは自分の娘があわよくば王子に近づけさせれる機会を逃したくはないと考えているし、
何よりも独裁的な現国王に楯突くのは愚かだと考えている。そういう自分ですら、国王が恐ろしくて何も言えない。ロズウェルは内心でしかあれこれ言えない自分に一番腹が立っていた。
テーブルに紅茶を置くと、気だるげに王子が体を起こした。茶会直後のこの時間は、話疲れている王子を労わって、ロズウェルは無駄なことはしゃべらないことに決めている。
傍らにそっと立って、カップが空になればすかさずお茶を注ぐ。無駄話はしないけれど、何かひとつ、王子を元気づけられる情報を茶菓子代わりに提供する。
落ち着いた頃を見計らって、ロズウェルは「そういえば」と口を開いた。
「今夜もよく晴れるそうですよ。お休み前に窓の外をのぞいてみてはいかがですか。」
王子の目がキラリと輝いた。最近天文学に興味を持っているらしい王子にこの話題は口に合ったようだ。
目ざとく王子の表情が柔らかくなったのに気づく。
けれど、「だからって夜更かししないでくださいね。」と釘を刺したのを聞き流されていたのには気づかなかった。
それどころか、ロズウェルは自分の主が夜中に部屋を抜け出していたなどと、今夜もそうしようとしていたことなど、知る由もなかった。
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2013/04/14 教育係:ロズウェル。天体観測はこの人には秘密。1日の終わりの仕事は、深夜1時ごろ:王子が寝てるか確認すること。
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